中佐への昇進とコマンド指令への抵抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 02:36 UTC 版)
「ヴァルター・コッホ」の記事における「中佐への昇進とコマンド指令への抵抗」の解説
1942年4月20日に中佐に昇進したコッホと指揮下の第5降下猟兵連隊(Fallschirmjäger-Regiment 5)は、11月の半ばにチュニスに移送され、2週間後にはDepienne飛行場でアフリカでの最初の戦闘を行った。ジョン・フロスト中佐指揮の英第2落下傘大隊がこの飛行場確保の任務を担っていた。飛行場は放棄されていることが判明し、他の目標を探すためにフロストは1個小隊を警護につけただけで多数の負傷兵をあとに残していかねばならなかった。コッホ中佐の偵察部隊に発見されると残された英軍落下傘兵は早々に撃退されて捕虜となった。コッホは部下の衛生兵に負傷者の手当てをさせ、水、食料、煙草を与えて一般のドイツ軍地上部隊が到着する前に捕虜から一旦離れた。このドイツ軍部隊が「コマンド指令」(Kommandobefehl)に従って英軍捕虜の処刑準備をしていたところにコッホと第5降下猟兵連隊/第I大隊の指揮官ハンス・ユングヴィルト(Hans Jungwirth)大尉が到着してこれを止めさせ、捕虜を適切に扱うように要求した。白熱した議論の後で英軍捕虜は捕虜収容所に移送された。
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