中世セルビア王国・第二次ブルガリア帝国(12~14世紀)・オスマン帝国(14世紀~)の支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 16:46 UTC 版)
「マケドニア」の記事における「中世セルビア王国・第二次ブルガリア帝国(12~14世紀)・オスマン帝国(14世紀~)の支配」の解説
この時期(中世)、ブルガリア人、セルビア人、そしてオスマン帝国と、支配者が入れ替わりながら常に外部からの支配を受け続け、マケドニア独自の国家を形成することがなかったため、マケドニア固有の民族意識の形成も遅れ(近世)、19世紀にバルカン諸国が相次いで独立を果たした後も、オスマン帝国の領土として残されて「マケドニア」と呼ばれていた。
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