両交通系の末路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/04 07:54 UTC 版)
しかし民国初期における政治変動のなかで、両交通系は漂流を余儀なくされていくことになる。1919年(民国8年)には曹汝霖・陸宗輿が、五四運動において国内世論から対日融和姿勢を糾弾され失脚した。梁士詒は奉天派の張作霖の支援を受ける形で、1921年(民国10年)12月に国務総理となるが、翌年1月、早くも内閣は崩壊している。そして同年4月の第1次奉直戦争で張が敗北すると、梁はまたしても指名手配を受けることになり、日本に逃亡した。 その後、梁士詒も曹汝霖も、北京政府が健在の間は復権する機会を得た。しかし国民政府の北伐により北京政府が崩壊すると、2人とも下野を余儀なくされた。この時点をもって、新旧の交通系は政治集団として完全に消滅したことになる。
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