下社の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:12 UTC 版)
諏訪下社は6世紀末から7世紀初頭に伊那郡から諏訪や埴科、水内へ進出した金刺氏が創建したものと考えられている。 金刺氏の祖の墓と想定されている青塚古墳は下社秋宮の近辺に位置しているため、秋宮は自ずから祖先祭祀の場で、砥川のほとりにある下社春宮は、水霊を祀る祭場だったと思われる。要するに、諏訪湖の北に拠点を構えた金刺氏はその王墓を祀り(秋宮)、砥川の自然信仰(春宮)を取り込み、諏訪下社となる社壇を作り上げた。 諏訪上社が主祭神を男神とし、そして後裔の大祝に男性を即位させたのに対して、下社側が祭神を女性として神話を持たせたと推測される。宮坂光昭(1987年)は、「ヤサカトメ」という神名が元々水稲農耕における豊作呪術をよくする巫女(かんなぎ)の名称であり、これが後に下社の女神に当てられたという説を提唱した。実際には下社の神事は農耕関係のものが多い。
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