下神殿の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:49 UTC 版)
「伊集院町下神殿」の記事における「下神殿の成立と中世」の解説
下神殿という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国伊集院のうちであった。建久8年の薩摩国図田帳には伊集院のうちとして「下神殿十六町 万得」とある。また、鎌倉時代末期頃のものと推測される伊集院分造宇佐宮用途支配注文には「下神殿 肆拾参疋 米玖斗壱合」とある。南北朝期には下神殿は伊集院氏が領していたが、戦国期になり伊集院氏は没落し、伊集院のその他の地と共に島津本家の直轄地となった。 永正11年の伊集院諏訪祭札番帳には「六番 下神殿名」とあり、島津本家の支配下で伊集院麓にある諏訪神社(現在の南方神社)の番役を負担していたと考えられる。中世後期頃には上神殿と併せて神殿と総称されていた。
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