上記以外の牛久保衆人名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:08 UTC 版)
牛久保城古図には、大きな侍屋敷しか記載がないが、上記寄騎・重臣の各氏の庶家と思われる姓・名以外にも以下の各氏を見ることができる。彼らが牛久保在城期の牧野氏においてどのような地位にあったかは文献上で今のところ検証できないが、牛久保衆の主要部を構成していたものと推察される。 明石、秋山、安藤、石黒、伊東、大林、金子、神谷、坂井、榊原、陶山、関、武、竹内、贄、宮橋、渡辺、渡部。 同古図では凡そ40名ほどの人名が読みとれるが、説教師・大百姓等とおもわれる人名もあり、また城地・侍屋敷以外のものは含まない。 明石、大林、坂井、宮橋などの姓は、近世大名となった牧野氏の上級家臣に見ることはできない。天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に伴って、三河国の多くの土豪、地侍もこれに随従した。その一方で父祖連綿の土地を離れることを嫌って、牢人を選び郷士となった者もいたが、牧野氏や牛久保寄騎・地侍衆にもそれは考えられる。
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