上海幇との主導権争い
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院政を敷いたかに見えた江沢民だったが、2004年に党中央軍事委員会主席の座も胡錦濤に譲り渡した。これにより、胡錦濤は軍のトップにもなり、党・政・軍の全ての権力を事実上掌握した。しかし江沢民を中心とする上海幇との権力闘争は以降も続くことになる。 その後の胡錦濤は権力基盤の強化で一定の成功を収めている。2005年8月には中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」が胡錦濤を称賛する記事を連日掲載するようになった。これは胡錦濤が軍部との間に協力関係を築いたことを示している。2006年9月には上海市党委員会書記の陳良宇が汚職の疑いで解任され、上海幇が勢力を失ったとされた。 しかし2008年3月15日の第11期全国人民代表大会第1回会議にて、胡錦濤自身は再び国家主席に選出され、国家中央軍事委員会主席にも選出された ものの、自身と同じ共青団の出身である李克強を次期の党総書記にすることができず、上海幇の推す習近平が次期の党総書記に就任するなど、上海幇の影響力は依然として残っている。それでも、2007年の第17回党大会で胡錦濤の勢力が躍進したため、これから胡錦濤の権力は強くなっていくという見方もあった。
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