上座部仏教への圧政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:24 UTC 版)
マハーセーナはゴタバヤ(在位:253年 - 266年)の子である。ゴタバヤの死後は兄であったジェッタティッサ1世 (Jetthatissa) が王位を継ぎ、275年まで国を治めた。ジェッタティッサとマハーセーナはともに大乗仏教(無比 (Vaitulya) とも呼ばれた)の僧であったサンガミッターから教育を受けた。当時は、その以前から国教として広まっていたのは上座部仏教であったが、マハーセーナは王位を継いでまもなく、上座部仏教最大の寺院であったアヌラーダプラ大僧院の僧(和尚、Bhikkhus)たちに、大乗仏教を受け入れるように命じた。僧らがこれに反発すると、マハーセーナは民衆に対して上座部仏教の僧に食べ物を提供することを禁じた。その結果僧たちはアヌラーダプラを捨て、スリランカ南部のルフナ地方へ逃れた。 マハーセーナはアヌラーダプラ大僧院を解体し、廃材をアバヤギリ寺院(英語版)の建立に使い、大乗仏教の中心地とした。アヌラーダプラ大僧院の一部であったロワマハーパヤ(英語版)も同様に解体された。これに対してマハーセーナの友人であり国の行政を負かされていたメガワナバヤ (Meghavannabaya) はルフナで兵を挙げ謀反を起こした。マハーセーナはこれを討伐すべく、軍を率いてメガワナバヤの陣に相対する陣を張ったが、翌日には決戦になろうとするその前夜、メガワナバヤは敵陣にてマハーセーナに対面し、上座部仏教に対する圧政を辞めるよう説得、その結果マハーセーナはメガワナバヤと和解し、マハーセーナは上座部仏教への攻撃をやめ、アヌラーダプラ大僧院も後に再建された。
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