上山英三とは? わかりやすく解説

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上山英三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 00:54 UTC 版)

上山 英三(うえやま えいぞう[1]1893年明治26年〉3月1日[1] - 1981年昭和56年〉11月29日[2])は、日本の銀行家台湾銀行頭取、全国相互銀行協会会長などを務めた。

経歴

和歌山県人・上山英一郎の二男、勘太郎の弟、英夫の兄である[3]1917年3月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業[1][4]大蔵省に入り、日本銀行監理官・銀行局検査課長・為替局長などを歴任し1937年日本興業銀行理事に挙げられた[3]

日仏銀行取締役、商工組合中央金庫理事に選任された[3]1942年に台湾銀行副頭取に転じ、1944年に頭取に推され、1945年に退任する[1]。1962年、歌会始の召人を務めた。

人物

家族・親族

上山家

上山家は和歌山県有田郡保田村山田原の蜜柑農家である。

  • 妻・英子1898年 - ?、松波仁一郎の四女)[3]
  • 子(一男四女)[3]
親戚

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第25版 上』う52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月5日閲覧。
  2. ^ 『人物物故大年表』
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 上』う33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月4日閲覧。
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 従大正7年至大正8年』学士及卒業生姓名 法学士 政治学科131頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月5日閲覧。

参考文献

  • 東京帝国大学 編『東京帝国大学一覧 従大正7年至大正8年』東京帝国大学、1913-1924年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。



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