三河設楽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:29 UTC 版)
設楽本家は、代々奥三河の一地域を領した。 川路城主の設楽清広(1507 - 1570)の嫡子であった設楽能久は、姉婿の設楽貞通との抗争により出奔したが、その子孫は八王子にて代官などを務めた。 設楽貞通(天文3年・1534年 - 慶長元年・1596年)が領地を相続したが、徳川家康によって采地を駿遠両国に移された。 貞通の子達は、家康の関東移封に従い武蔵国羽生に知行地を賜った。長男貞清は所領を二男貞信に700石、三男貞慶に500石、四男貞則に300石に分け与えた。
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