三代伝持の血脈
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元弘元年/元徳3年(1331年)、『口伝抄』を撰述し、「三代伝持の血脈(けちみゃく)」を表明し、法灯継承を主張する。(法脈…法然⇒親鸞⇒如信⇒覚如、血統…親鸞⇒覚信尼⇒覚恵⇒覚如)自らを本願寺三世と位置づける。(親鸞…開祖〈宗祖〉、如信…本願寺二世) 正慶元年(1332年)、如信の三十三回忌の勤修の為、陸奥国の大網(現、福島県白川郡古殿町)に赴く。同時に有力な東国門徒20人余りに、正統な宗義の相伝者・法灯の継承者である事を認めさせ署名させる。 建武3年 (1336年)、足利尊氏による戦乱を避け、存覚の居住する近江瓜生津に疎開する。戦火の影響で「本願寺」全焼する。『本願寺上人伝絵』(初稿本)消失する。 建武4年(1337年)、帰洛し西山久遠寺に居住する。『本願鈔』『改邪鈔』を撰述する。 建武5年/暦応元年(1338年)、近江瓜生津の愚咄の仲裁により、存覚の義絶を赦免し、別当職を譲る。 暦応3年(1340年)、『願々鈔』を撰述する。
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