三代 不寒斎省巴【1502年-1571年】
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3代目省巴(1502年-1571年)は、宗温の次子で俗名弥次郎信賢、落髪して省巴、不寒斎と号した。和漢の文才に優れ、世に高き香道の宗匠として君臨するも、壮年の頃より多病にして公務塵世を厭い、香道の一切を高弟の蜂谷宗悟に託して京都市中を離れ、嵯峨に隠遁した。千利休を含む多くの門人を抱えた。省巴好といわれる「志野丸香棚」は卓の代わりに用いる棚で、床に置く時は上棚に香炉、下棚に香具・花の類を飾る。利休は左右の栓を中広に、宗旦は末広にして中を狭くしたという。
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