三井時代の建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:52 UTC 版)
(旧)第二工場は、1896年(明治29年)に竣工した木造平屋建てである。これに伴い開業当初の繰糸所は第一工場と改名されたが、原時代に再び繰糸所は一元化されたため、1911年に繰糸所としての機能を停止した。第二工場は選繭場、煮繭場などとして転用され、片倉時代には副蚕糸の加工処理施設に転用された。現在残る建物は、竣工当初のものよりも短縮されている。 第二工場と同じ年に、首長館の隣に建てられたのが寄宿舎の一つである榛名寮で、以前の寄宿舎の老朽化に対処するものだった。以前の寄宿舎は解体され、木造二階建ての榛名寮の建材には転用されたものが含まれる。首長館の隣は日当たりが良く、そこへ移転したのは、工女たちの住環境への配慮だったとされる。 ほかに建物ではないが、敷地内で三井時代と結びつく場所としては殿下山がある。原合名会社に譲渡される直前の1902年(明治35年)6月2日、皇太子殿下(のちの大正天皇)が登ったとされる小山である。
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