一致教会の牧師時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/09 17:41 UTC 版)
やがて、長老派の東京第一長老教会に転会し1874年(明治7年)4月に牧師に任命される。最初に芝露月町教会と品川教会(大井町教会)を兼牧した。 東京で牧師をしながら、安川はさらに郷里の法典村で伝道を続ける。そして、1877年(明治10年)で安川と戸田忠厚の伝道に接した、法典村の渡辺伊十郎がキリスト教の求道を始める。その後、渡辺は安川から洗礼を受け、自宅で家庭集会を開く。それがきっかけで、1883年(明治16年)に九十九里教会が設立される。 1883年4月9日、霜月町教会で韓国最初のクリスチャンの一人とされる当時留学生の李樹廷に洗礼を授ける。 また同年1883年に安川は服役囚の好地由太郎の実姉で養母の好知つるに依頼されて刑務所に聖書を差し入れた。それがきっかけになり、つると夫の新聞記者の好地重兵衛は芝露月町教会の教会員となった。 1884年(明治17年)、安川は板垣退助、植木枝盛、片岡健吉、小林樟雄、細川瀏ら立志社、自由党と関係があったので、彼らの支援で、日本基督一致教会が高知県の伝道を推進した。その結果、翌年1885年(明治18年)に高知教会が誕生する。
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