ヴァンネ=アイクル-ハンブルク線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 01:46 UTC 版)
ヴァンネ=アイクル-ハンブルク線 | |
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基本情報 | |
国 | ![]() |
起点 | ヘルネ |
終点 | ハンブルク |
路線記号 | 2200 1283(ローテンブルク - ブーフホルツ間3番目の線路) |
路線番号 | 120、385、425 |
開業 | 1870年 |
運営者 | ドイツ鉄道 |
路線諸元 | |
路線距離 | 355 km |
軌間 | 1,435 mm |
線路数 | 三線(バックホルツ - ローテンブルク) 複線(ハンブルク - バックホルツ、ローテンブルク - ヴァンネ=アイクル) |
電化方式 | 交流15,000V 16.7Hz |
最高速度 | 200 km/h |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヴァンネ=アイクル-ハンブルク線 (ヴァンネ=アイクル-ハンブルクせん、ドイツ語: Bahnstrecke Wanne-Eickel–Hamburg)とは、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ヘルネのヴァンネ=アイクル中央駅からニーダーザクセン州およびブレーメンを経てハンブルクのハンブルク中央駅に至る全長355kmのドイツ鉄道の路線である。
概要
全線が複線以上であり、200km/hでの運行が可能なようにLZBが設置されている。ロルバーン(ドイツ語: Rollbahn)との愛称も付けられている。
歴史
プロイセン政府はケルン・ミンデン鉄道株式会社(Cöln-Mindener Eisenbahn-Gesellschaft, CME)にハンブルク - パリ間の東側部分建設を委託した。西の出口はオランダヴェンローと予定されて、「ハンブルク - ヴェンロー鉄道」の異名がつけられた。CMEはハンブルク方面の新線を既存鉄道網と連結するためにケルン - ミンデン本線におけるヴァンネ駅(現在のヴァンネ=アイクル中央駅)を起点とした。また、ヴェンロー方面の鉄道を建設するためにハルテルン駅舎を設置した。
1866年にCMEはヴァンネ - オスナブリュック間の鉄道敷設承認をプロイセン政府から獲得した。オスナブリュック-ハンブルク間の建設は1868年にプロイセンハノーファー州とハンブルクが、1869年ブレーメンが許可した。
この路線はCMEによって建設され、1870年1月1日にヴァンネ駅(現在のヴァンネ=アイクル中央駅)からミュンスター中央駅までの区間がが開業したことは皮切りとなった[2]。1871年9月1日にこの路線はオスナブリュックまで延長された[3]。1872年12月1日にハノーファー州ハルブルクからハンブルク州ヴェンロー駅(現在ハノーファー旧駅)までの区間がエルベ川鉄道橋と共に開通された。ヴァンネ - オスナブリュック間鉄道は1873年5月15日にヘーメリンゲンまで、同年8月16日にブレーメンまで延長された。残りのブレーメン - ハルブルク間が完成したことで、1874年6月1日には全線が開通した[4]。
1879年にはプロイセン政府がCMEを引き受けて国有化した。2番目線路はヴァンネ - キルヒヴァイエ間で1884年に、ブレーメンまで1891年に、ザーゲーホルンまで1893年に設置されて[5]、列車の緊密な配置が可能となった。1891年にブレーメン中陽駅が完工した後に、ブレーメン市内区間は移設されハンブルク駅は解体された。
1905年に電気式信号システムが導入され最高速度は100 km/hに上昇した[6]。1906年12月30日、急行列車の機関士が濃霧のためオッタースベルク駅の停止信号を見ることはできなかった。急行列車は待機中の貨物列車と側面で追突して、8人が死亡した[7]。1907年9月29日に終点は旧ハノーヴァー駅から新駅に変更されて、この路線はリューベック-ハンブルク線およびベルリン-ハンブルク線と連結された。1918年1月16日、急行列車と軍人を含む観光客向けの列車はオスナブリュック - ボームテ間線路上に衝突した。この事故で、31人が死亡し66人が負傷を負った[8]。
第一次世界大戦の終戦後、ドイツ国営鉄道(略: DR)はプロイセン王立鉄道を継承してミュンスター - オスナブリュック間の複々線設置を計画した。鉄道敷地の買入れは完了して、第二レンゲリヒトンネルの掘削工事はすでに始まった。1930年代初めにドイツ経済は世界経済恐慌のため麻痺して複々線プロジェクトは中止となった。新しいレンゲリヒトンネルは完工して、向上した線形のため、既存線路との連結で活用できた。旧トンネルは第二次世界大戦の寸前まで使用されなかったが、戦争中に地下兵器工場として活用された。戦後に第一トンネルは民間企業により用いられ、火器の射撃場とも活用された。
1960年代に電化が行われ、1983年にはハンブルク中央駅 - ハールブルク駅間にハンブルクSバーンが開業した。
1973年に西ドイツ政府により策定された連邦交通路計画ではハンブルク - オスナブリュック - ドルトムント間は主要8路線の一つにとして高速化が提案された。1978年以降はハンブルク - ブレーメン - ミュンスター間において最高速度が順次200km/hに引き上げられた。1986年6月にはバックホルツ - ローテンブルク間が三線化された。
列車
ルール地方とハンブルクを結ぶ幹線であることから最低でも毎時1本以上はICが運行されている。ICE91系統、IC30系統およびIC31系統はミュンスター - ハンブルク間は当線経由であるものの、ミュンスター以南はドルトムント方面に向かうドルトムント-エンスヘデー線およびプロイセン-ミュンスター線を経由する。さらに長距離列車はドルトムント-ハム線およびミュンスター-ハム線を経由する。 ミュンスター以南の区間にはIC32系統およびIC35系統が運行されている[9][10]。
地域輸送
ライン=ルール地方、ブレーメン、ハンブルクを結ぶ地域列車も多数運行されている。ブレーメン - ハンブルク間には毎時2本運行されている[11][12][13]。
- 快速列車(RE 9): オスナブリュック - ボームテ - レムフェルデ - ディープホルツ - バルンストルフ - トヴィストリンゲン - バスム - ジーケ - キルヒヴァイエ - ブレーメン - オスターホルツ=シャルンベック - ブレーマーハーフェン - レーエ。60分あるいは120分ごとに運行[14]。
- 快速列車(RE 42): モェンヒェングラートバッハ - フィアーゼン - クレーフェルト - デュースブルク - エッセン - ゲルゼンキルヒェン - ヴァンネアイクル - レックリングハウゼン南駅 - レックリングハウゼン - マール・ジンゼン - ハルテルン - ジーテン - デュルメン - ブルデルン - アッペルヒュルゼン - ボェーゼンゼル - アルバーフテン - ミュンスター。毎時1本運行[15]。
- 普通列車(RB 41): ブレーメン - オーバーノイラント - ザーゲーホルン - オタースベルク - ゾットルーム - ローテンブルク - シェーセル - ラウエンブリュック - トシュテット - シュプロェッツェ - ブーフホルツ - クレッケント - ヒットフェルト - ハルブルク - ハンブルク。毎時1本運行[16]。
- 普通列車(RB 66): ミュンスター - ヴェストベーヴェルン - オストベーヴェルン - カッテンフェンネ - レンゲリヒ - ナトループ・ハーゲン - ハスベルゲン - オスナブリュック。毎時1本運行。オイロバーン(Eurobahn)によって運行[17]。
- Sバーン(S 2): ドルトムント - ドルストフェルト - ヘルネ - レックリングハウゼン南駅 - レックリングハウゼン。毎時1本運行[18]。
- Sバーン(RS 2): トヴィストリンゲン - バスム - ブラムシュテット - ジーケ - バリエン - キルヒヴァイエ - ドライエ - ヘーメリンゲン - ブレーメン - ブルク - オスターホルツ=シャルンベック - ブレーマーハーフェン - レーエ。毎時1本運行[14]。
脚注
- ^ (ドイツ語) Eisenbahnatlas Deutschland 2009/2010 (7th ed.). Köln: Schweers + Wall. (2009). pp. 51, 118, 120, 134, 138. ISBN 978-3-89494-139-0
- ^ “Officielle Mittheilungen über neu eröffnete Vereins-Bahnen und -Stationen etc.” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 1): p. 1. (1870年1月7日)
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に余分の文字が入力されています。 (説明)⚠ - ^ “Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 35): p. 715. (1871年9月1日)
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に余分の文字が入力されています。 (説明)⚠ - ^ “Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 45): p. 491. (1874年6月8日)
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に余分の文字が入力されています。 (説明)⚠ - ^ Oliver Strüber (2023). “Magistrale in den Norden” (ドイツ語). eisenbahn magazin (No. 6): p. 56.
- ^ Oliver Strüber (2024). “Dampf-Magistrale” (ドイツ語). Modelleisenbahner (Heft 6/2024): 19.
- ^ Bernhard Püschel (1977) (ドイツ語). Historische Eisenbahn-Katastrophen. Eine Unfallchronik von 1840 bis 1926. Freiburg im Breisgau: Eisenbahn-Kurier. pp. 75, 76. ISBN 3-88255-838-5
- ^ Hans Joachim Ritzau (1979) (ドイツ語). Eisenbahn-Katastrophen in Deustchland. Band 1. Landsberg-Pürgen. p. 91
- ^ ICE運行路線図 2017年度版
- ^ EC/IC運行路線図 2017年版
- ^ RE/RB運行路線図(ノルトライン=ヴェストファーレン州) 2017年版
- ^ RE/RB運行路線図(ニーダーザクセン州およびブレーメン) 2016年版
- ^ RE/RB/Sバーン運行路線図(ハンブルク) 2017年版
- ^ a b “Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 385” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2025年8月24日閲覧。
- ^ “Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 425.reg” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2025年8月24日閲覧。
- ^ “Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 120” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2025年8月24日閲覧。
- ^ “Fahrpläne:Teutoburger-Wald-Netz” (ドイツ語). eurobahn GmbH und Co. KG. 2025年8月24日閲覧。
- ^ “Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 450.2” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2025年8月24日閲覧。
関連項目
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