ワルター・バリリとは? わかりやすく解説

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ワルター・バリリ

(ヴァルター・バリリ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 05:47 UTC 版)

ワルター・バリリ
1957年12月10日、東京国際空港
基本情報
生誕 (1921-06-16) 1921年6月16日
出身地  オーストリアウィーン
死没 (2022-02-01) 2022年2月1日(100歳没)
学歴 ウィーン音楽アカデミー
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ワルター・バリリ(Walter Barylli [baˈrʏli][1]バリュリ, 1921年6月16日 - 2022年2月1日[2][3] )は、オーストリア出身のヴァイオリニスト

経歴

ウィーンに生まれ、ウィーン音楽アカデミーフランツ・マイレッカー英語版に師事。ミュンヘンフロリツェル・フォン・ロイター英語版の指導も受けた。1936年にミュンヘンでデビューを飾り、1938年9月1日にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団し、同年11月1日にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1939年には同団のコンサートマスターに昇格した。1945年からはバリリ弦楽四重奏団を結成し、1959年に右肘を痛めるまで活動を継続した。四重奏団活動停止後もコンサートマスターとしての勤務を継続する。1966年から1969年まではウィーン・フィルハーモニーの楽団長を務めた。1972年9月1日に退職。1969年以降はウィーン市立音楽院で後進の指導に当たっている。

独奏者として引退し、運営面に移った後もオーケストラの後方の席で演奏に加わる事もあり、複数回の来日公演も果たしている。 2021年には矍鑠として100歳の誕生日を祝った。

息子はオーストリアの俳優劇作家ガブリエル・バリリ[4]

著書

  • 『ウィーン・フィルとともに ワルター・バリリ回想録』岡本和子訳、音楽之友社、2012年。

脚注

  1. ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 188. ISBN 978-3-411-04066-7 
  2. ^ “Zum Gedenken von Walter Barylli” (ドイツ語). ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 HP. (2022年2月10日). https://www.wienerphilharmoniker.at/de/magazin/zum-gedenken-von-walter-barylli/6186 2022年2月14日閲覧。 
  3. ^ “Geiger Walter Barylli im Alter von 100 Jahren gestorben” (ドイツ語). derstandard.at. (2022年2月10日). https://www.derstandard.at/story/2000133258407/geiger-walter-barylli-im-alter-von-100-jahren-gestorben 2022年2月11日閲覧。 
  4. ^ Encyclopedia of Austria, [1].



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