ワシリー・スミスロフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > チェス選手 > チェス選手 > ロシアのチェス選手 > ワシリー・スミスロフの意味・解説 

ワシリー・スミスロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 23:45 UTC 版)

ワシリー・スミスロフ
フルネーム ワシリー・ワシリエビッチ・スミスロフ
ソビエト連邦
ロシア
生誕 (1921-03-24) 1921年3月24日
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国モスクワ
死没 (2010-03-27) 2010年3月27日(89歳没)
ロシアモスクワ
タイトル グランドマスター
世界選手権 第8代チェス世界チャンピオン
テンプレートを表示

ワシリー・ワシリエビッチ・スミスロフВаси́лий Васи́льевич Смысло́в, Vasily Vasiliyevich Smyslov, 1921年3月24日 - 2010年3月27日)は、ソビエト連邦生まれのチェス世界チャンピオン1957年 - 1958年)。

人物

モスクワ生まれ。6歳のときに父からチェスを教わる。1938年ソ連ジュニアチャンピオン、その数ヵ月後にモスクワチャンピオンとなる。アレクサンドル・アレヒンの死によって世界チャンピオンが空位となったので、1948年マックス・エーワサミュエル・ハーマン・レシェフスキーパウリ・ケレスミハイル・ボトヴィニクと新チャンピオン決定戦を戦った。この時はボトヴィニクが優勝し世界チャンピオンとなったが、スミスロフは2位となった。

スミスロフは3度世界選手権マッチを戦っている。1954年の最初の登場では7勝10引き分け7敗で当時のチャンピオン・ボトヴィニクに引き分け防衛を許したが、1957年にはボトヴィニクを6勝13引き分け3敗で破り世界チャンピオンとなった。だが翌年のリターンマッチで5勝11引き分け7敗でボトヴィニクにタイトルを奪われた。

スミスロフの全盛期はボトヴィニクの全盛期とぶつかったため、「もしボトヴィニクがいなければ長期にわたって世界チャンピオンの座を維持しただろう」と言われている。

穏健な棋風で、特に終盤の指しまわしは史上屈指の名手とされる。高い棋力を長く保ったことでも有名で、1983年には62歳で挑戦者決定戦の決勝に進んでチェス界を驚かせた(42歳年下のガルリ・カスパロフに敗れた)。

2010年3月27日、心不全のために89歳で没した[1]。生前の1977年、小惑星のひとつにスミスロフの名がつけられている。

脚註





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ワシリー・スミスロフ」の関連用語

ワシリー・スミスロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ワシリー・スミスロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのワシリー・スミスロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS