ローマの台頭とは? わかりやすく解説

ローマの台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/20 09:44 UTC 版)

ラティウム同盟」の記事における「ローマの台頭」の解説

王政ローマ第7代の王タルクィニウス・スペルブス治世下では、ローマラティウム同盟主導的立場収まり同盟ローマ指定する日時に軍を供出して連合軍結成する条約結んだそのようにして、タルクィニウスはローマラティウム軍の混成進めていった。 初期共和政ローマラティウム同盟連合したのは紀元前493年のことで、それまで同盟追放されたタルクィニウスを支援していたが、伝承によればレギッルス湖畔の戦いローマ勝利した後に「カッシウス条約」が結ばれたという。条約では遠征軍におけるローマ側主導権と、戦利品共有 (恐らく後の第二次ラティウム戦争口実一つとなったであろう)がうたわれた。この同盟アエクイ族ウォルスキ族といったアペニン山脈部族連合侵略撃退し連合軍ラティウム守り抜いたラティウム側が同盟一員としてローマ受け入れたのか、それとも同盟ローマの間で条約結ばれたのかははっきりしていない。

※この「ローマの台頭」の解説は、「ラティウム同盟」の解説の一部です。
「ローマの台頭」を含む「ラティウム同盟」の記事については、「ラティウム同盟」の概要を参照ください。

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