ローザ・ルクセンブルクのロシア革命論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:23 UTC 版)
「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事における「ローザ・ルクセンブルクのロシア革命論」の解説
ローザ・ルクセンブルクは、1918年秋に獄中で書き、死後の1922年に出版された草稿においてボリシェヴィキによる憲法制定議会の解散を批判した。憲法制定議会が十月の急展開によって乗り越えられた過去を反映するものだというなら、再選挙すべきだった。また、出版の自由や結社・集会の権利がソヴィエト政府の反対者に停止されていることを問題とし、「プロレタリアートの歴史的使命は、権力を握ったときに、ブルジョア民主主義の代りに社会主義的民主主義を創始することであって、あらゆる民主主義を廃棄してしまうことではない」と論じた。 ただし、その後のドイツ革命の展開の中では、ルクセンブルク自身も「全権力をレーテ(労兵評議会)へ」というスローガンを掲げ、ブルジョア議会主義を否定した。レーニンはこの事情に触れて「ローザ・ルクセンブルグは〔……〕1918年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身、出獄後、1918年の終りから1919年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)」と評した。
※この「ローザ・ルクセンブルクのロシア革命論」の解説は、「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の解説の一部です。
「ローザ・ルクセンブルクのロシア革命論」を含む「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事については、「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の概要を参照ください。
- ローザ・ルクセンブルクのロシア革命論のページへのリンク