ローザ・ルクセンブルクのロシア革命・レーニン批判
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ロシア革命以前からローザはレーニンの前衛党論に反対していた(1904年にレーニンの発表した『一歩前進二歩後退』への批判に始まる。議会主義への態度をめぐって対立していたカウツキーともこの点においては一致していた)。批判の第一は革命後の独裁(プロレタリア独裁)のあり方・解釈についてである。プロレタリア独裁とは階級の独裁であって一党一派の独裁ではないと主張したローザは、革命後における民主的自由を擁護する立場を取った。批判の第二は、運動組織原則(レーニンの前衛党論)に対してであった。革命は自然発生的でなければならないと考えたのも、前衛党論批判の理由の一つであった。
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