ロンドン、ウェスト・エンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「ロンドン、ウェスト・エンド」の解説
シュスターはウェスト・エンド・オブ・ロンドン・アンド・クリスタル・パレス鉄道(英語版)(WEL&CPR)という独立企業を支援し、1856年に自社のクリスタル・パレス支線からワンズワースまで、1858年にはバタシーまで南ロンドンを大きく弧を描くように結ぶ路線を建設させた。路線が開通するとすぐにWEL&CPRから路線を借り受け、自社路線網に組み込んだ。 1858年から1860年にかけて、LB&SCRはイースト・ケント鉄道(英語版)(後のロンドン・チャタム・アンド・ドーバー鉄道(英語版)(LC&DR))、グレート・ウェスタン鉄道(GWR)、ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道(英語版)(LNWR)らとともに、ヴィクトリア・ステーション・アンド・ピムリコ鉄道会社(英語版)(VS&PR)の大株主となった。この企業はバタシーでテムズ川に架かるグロヴナー橋とヴィクトリア駅への線路を建設した。この路線はクロイドン付近で本線から分岐し、ウェスト・エンドにある終着駅までの(回り道ではあるが)直接ルートとなった。WEL&CPR買収後、1861年から62年にかけてウインドミル・ブリッジ信号場(英語版)とバラム(英語版)を結ぶ短絡線が新設され、イースト・クロイドンからヴィクトリア駅までの距離が短縮された。
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