ロベール1世 (ラテン皇帝)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロベール1世 (ラテン皇帝)の意味・解説 

ロベール1世 (ラテン皇帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/23 14:40 UTC 版)

ロベール1世
Robert I
ラテン皇帝
在位 1221年3月25日 - 1228年

出生 1201年
死去 1228年
アカイア公国、クレモツィ城
配偶者 ボードゥアン・ド・ヌーヴィルの娘
家名 クルトネー家
父親 ピエール2世・ド・クルトネー
母親 ヨランド・ド・フランドル
テンプレートを表示

ロベール1世(ロベール1せい、フランス語:Robert I, 1201年 - 1228年)またはロベール・ド・クルトネー(Robert de Courtenay)は、ラテン帝国皇帝(在位:1221年 - 1228年)。ラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネーヨランド・ド・フランドルの息子[1]

生涯

ピエール2世・ド・クルトネーが死去したことがフランスで知られるようになったとき、長男ナミュール侯フィリップはラテン皇帝位の継承を放棄し、ラテン皇帝位を手に入れようとしていた弟ロベールを支持した[1]。ラテン帝国に向かう途中、ロベールは1220年秋から1221年初めまでハンガリーに滞在し、義兄アンドラーシュ2世のもてなしをうけた。ヴィラール・ド・オヌクールもロベールに随行していた可能性がある。ロベールとアンドラーシュ2世は、エピロス専制侯テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスに対抗するため同盟を結んだ。アンドラーシュ2世とその継承者ベーラは、ブルガリアとの国境までロベールと同行した。そこでロベールはアンドラーシュ2世の娘アンナ・マーリアとブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世との結婚の媒をした[2]

1221年3月25日にラテン皇帝として即位したが、最初に1224年にテッサロニキをエピロス専制侯テオドロス1世に奪われた[3]ローマ教皇ホノリウス3世はカトリックのラテン帝国の状況を憂慮し、テッサロニキ防衛のための十字軍の招集を呼びかけたが、反応はなかった[3]。同年、ポイマネノンの戦いにおいてロベールはヨハネス・ドゥーカス・ヴァタツェスに敗れた[4]

この敗北の後、ロベールはニカイア帝国皇帝となったヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスと和解することを余儀なくされた。ロベールは先の皇帝テオドロス1世ラスカリスアンナ・アンゲリナの娘エウドキアと結婚することを約束した[5]。すでに以前にロベールはエウドキアと婚約していた。最終的に交渉が失敗した背景は不明であるが、ゲオルギオス・アクロポリテス英語版によると、コンスタンティノープル総主教マヌエル1世が宗教上の理由で取りやめさせたという。ロベールのマリーはテオドロス1世ラスカリスと結婚していた。したがって、ロベールはすでにテオドロス1世の義兄であったが、義理の息子となることはできなかった[6]。ともあれ、ロベールはすぐにエウドキアとの婚約を解消し、あるブルゴーニュ人の婚約者であったヌーヴィル家の娘と結婚した。そのブルゴーニュ人は陰謀を企て、ロベールをコンスタンティノープルから追い出した。ロベールにコンスタンティノープルに戻るよう説得する教皇に支援を求めるため、ロベールはローマに逃亡したが、1228年初めにコンスタンティノープルに戻る途中、モレアスで死去した[3]

脚注

  1. ^ a b Nicol 1993, pp. 12–13.
  2. ^ Bárány 2016, pp. 71–74.
  3. ^ a b c Nicol 1993, p. 13.
  4. ^ Tricht 2013, p. 1000.
  5. ^ Venning 2006, p. 567.
  6. ^ Akropolites 2007, pp. 157–158.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ロベール1世 (ラテン皇帝)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロベール1世 (ラテン皇帝)」の関連用語

ロベール1世 (ラテン皇帝)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロベール1世 (ラテン皇帝)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロベール1世 (ラテン皇帝) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS