ロベール1世 (ノルマンディー公)とは? わかりやすく解説

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ロベール1世 (ノルマンディー公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:05 UTC 版)

ロベール1世
Robert I
ノルマンディー公
ファレーズにあるロベール1世像
在位 1028年 - 1035年

出生 1000年
ノルマンディー
死去 1035年7月3日
東ローマ帝国ニカイア
子女 ウィリアム1世
アデライード
家名 ノルマンディー家
父親 ノルマンディー公リシャール2世
母親 ジュディット・ド・ブルターニュ
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ロベール1世フランス語Robert Ier, 1000年頃 - 1035年7月3日)は、ノルマンディー(在位:1028年 - 1035年)。華やかな衣装を好んだことから「華麗公」(le Magnifique)、あるいは兄を暗殺したという疑いから「悪魔公」(le Diable)と呼ばれる。また、先祖であるロロがロベールと改名しているため、代数が繰り下がって稀にロベール2世と称される場合もある。

生涯

ノルマンディー公リシャール2世(善良公)とその妻でブルターニュコナン1世の娘ジュディットの子。イングランドエゼルレッド2世北海帝国の王クヌーズ大王の妃エマは叔母に当たる。

1027年、父が死去して兄のリシャール3世が公位を嗣いだ時、ロベールはイエモワ伯(fr)となっていた。リシャール3世はわずか1年後に死去するが、これはロベールによる暗殺ではないかと強く疑われた。ロベール1世の渾名の1つ「悪魔公」はこれに由来し、しばしば伝説の悪魔ロベールと同一視されてきた。

ロベール1世の在位中、フランスアンリ1世は弟ロベールや母后コンスタンスに反乱を起こされていた。ロベール1世はアンリ1世を支援し、褒賞としてヴェクサンを獲得した。さらに彼はフランドルに干渉し、亡命していた従弟のイングランド王エドワード懺悔王を支援し、ノルマンディーの修道院を改革した。

ロベール1世は、愛人エルエーヴ(アルレット・ド・ファレーズとも)との間に1男1女をもうけた。息子ギヨームを後継者に指名した後、ロベール1世はエルサレム巡礼に出発し、戻る途中の1035年7月の1日から3日頃にニカイアで客死した。それにより、ギヨーム2世がわずか8歳で公位を嗣いだ。

ジャコモ・マイアベーア歌劇悪魔のロベール」("Robert le Diable"、1831年作曲・初演)はロベール1世を主人公としたものである。

子女

ロベール1世は、愛人アルレット・ド・ファレーズとの間に以下の1男1女をもうけた。

  • ギヨーム2世(1027年 - 1087年) - ノルマンディー公、後にイングランド王ウィリアム1世となる。
  • アデライード(1030年頃 - 1090年以前) - ポンチュー伯アンゲラン2世と結婚、ランス伯ランベール2世(ブローニュ伯ウスタシュ1世の子)と結婚、シャンパーニュ伯ウード2世と結婚



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