ロシア人上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)
1760年代後半、ロシア人が国後島に度々現れるようになり、ロシア人の地図には国後島までがロシアの領土であることを示していたが、実効支配に及んでいない。 文化8年(1811年)、ロシアの海軍軍人ヴァシーリー・ゴロヴニーン(ゴローニン)は、ロシア帝国軍に命じられた千島列島測量のため国後島に上陸したが、幕府役人調役奈佐瀬左衛門やアイヌたちに捕縛され、箱館に連行された。ゴローニンはその後、文化10年(1813年)9月に箱館へ来航したディアナ号艦長ピョートル・リコルド(ロシア語版)(Пётр Иванович Рикорд)が幕府と交渉を行った結果解放され、帰国した。
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