レイモン・ソメール(フランス)
同時代を生きたルイ・ロジェと対称的に、いつでも最速のタイムで走ることを目指し、プライベート・チームにあって最強のワークスチームに戦いを挑むことを好んだ。1949年に2人はタルポ・ラーゴでレースを走ったが、ロジェが燃料消費の有利なことを生かして長いGPレースを無給油で走り、上位入賞を目指したのに対して、ソメールはスピードでは劣性にあるマシンで、果敢にライバルに割って入ることを目指したところに、2人の差が表れている。ソメールの戦績のもっとも華やかなものは1932年と33年のルマンの連続優勝で、いずれも自ら所有するアルファでの参加、しかも32年は24時間中21時間を操縦した結果であった。50年9月、クーパーで小さなレースを走っているときに事故死。人々は彼のことをライオン・ハートと呼んで尊敬した。
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