レイトンハウス(マーチ)時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:47 UTC 版)
「カール・ヴェンドリンガー」の記事における「レイトンハウス(マーチ)時代」の解説
1991年 シーズン終盤の日本GPにて、レイトンハウスからF1デビューを果たした。メルセデスの育成プログラムのメンバーとしては、同年の11戦ベルギーGPでのシューマッハに次いでのデビューとなった。しかし、デビュー戦は、スクーデリア・イタリアの2台と共に、ジョーダンのアンドレア・デ・チェザリスのスピンに巻き込まれ、1周でリタイヤした。続く最終戦オーストラリアGPでも、12周目に豪雨に足を取られ、クラッシュした。 1992年 チームに残留したが、スポンサーのレイトンハウスが撤退し、チーム名はマーチに戻っていた。財政難から、マシンの戦闘力が前年以上に低下する中、開幕戦南アフリカGPでの予選7位、第3戦ブラジルGP・第4戦スペインGPでの予選9位、第10戦ドイツGPでの予選10位など速さを見せた。また決勝では、第7戦カナダGPでサバイバルレースを生き残り、4位入賞。自身初の入賞を記録した。 参戦した14戦中、チームメイトに対してはポール・ベルモンドに10勝1敗、エマニュエル・ナスペッティに対して3戦全勝と上回った。終盤の2戦は、チームにスポンサーを持ち込んだヤン・ラマースにシートを譲った。
※この「レイトンハウス(マーチ)時代」の解説は、「カール・ヴェンドリンガー」の解説の一部です。
「レイトンハウス(マーチ)時代」を含む「カール・ヴェンドリンガー」の記事については、「カール・ヴェンドリンガー」の概要を参照ください。
- レイトンハウス時代のページへのリンク