ルチアーノ・エンメルとは? わかりやすく解説

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ルチアーノ・エンメル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:58 UTC 版)

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Luciano Emmer
ルチアーノ・エンメル
生年月日 (1918-01-19) 1918年1月19日
没年月日 (2009-09-16) 2009年9月16日(91歳没)
出生地 イタリア ロンバルディア州ミラノ
死没地 イタリア ラツィオ州ローマ
国籍 イタリア
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル ドキュメンタリー映画、劇映画
活動期間 1941年 – 2009年
活動内容 1941年 短篇映画で監督デビュー
著名な家族 ミケーレ・エンメル 息子
主な作品
『ピカソ この天才を見よ』
 
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
パシネッティ賞
2003年『水…火』
ゴールデングローブ賞
特別賞
1952年『ピクトゥーラ』
その他の賞
ナストロ・ダルジェント賞
最優秀ドキュメンタリー賞
1949年『ラグーンの島』
ロカルノ国際映画祭
特別賞
1950年『八月の日曜日』
『失われた楽園』
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭
最優秀ドキュメンタリー賞
1956年『ピカソ この天才を見よ』
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ルチアーノ・エンメルLuciano Emmer, 1918年1月19日 - 2009年9月16日[1])は、イタリア映画監督脚本家映画プロデューサーである。

人物・来歴

1918年(大正7年)1月19日、イタリアのロンバルディア州ミラノに生まれる。

1941年(昭和16年)、初めてのドキュメンタリー短篇映画を監督する。

1947年(昭和22年)、ヴェネツィア国際映画祭で『ヴェスナ』が金獅子賞にノミネートされる。1949年(昭和24年)、『ラグーンの島』でナストロ・ダルジェント賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞する。1950年(昭和25年)、『八月の日曜日』でロカルノ国際映画祭特別賞を受賞する。1951年(昭和26年)、『失われた楽園』で第1回ベルリン国際映画祭で銅賞を受賞した。1952年(昭和27年)には、『ピクトゥーラ』でゴールデングローブ賞特別賞を受賞した。1956年(昭和31年)、『ピカソ この天才を見よ』で、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。

2003年(平成12年)には、『水…火』で、ヴェネツィア国際映画祭パジネッティ賞を受賞した。

2009年(平成21年)9月16日ローマ市内の病院で死去した[1][2]。満91歳没。死去に際して、イタリアの文化財・文化活動省大臣のサンドロ・ボンディが哀悼の意を表した[1]

おもなフィルモグラフィ

  1. ^ a b c EMMER: IL CORDOGLIO DI SANDRO BONDI, stato-oggi.it, 2009年9月18日閲覧。
  2. ^ Addio a Emmer, cantore di Masolino, Satelios News, 2009年9月18日閲覧。

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