李封
リホウ |
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興平元年(一九四)、兗州牧曹操が国許を空けたとき、陳宮・張邈が叛逆して呂布を州牧に迎え入れた《武帝紀・呂布伝》。呂布は薛蘭を別駕従事、李封を治中従事に任命した。薛蘭・李封は、乗氏に勢力を持っていた李乾を仲間に引き入れようとしたが、李乾がそれを拒絶したので彼を殺害した《李典伝》。 翌二年春、曹操が定陶城を包囲した。李封は薛蘭とともに鉅野に駐屯したが、夏、李乾の子李整が曹操の諸将とともに攻撃をかけてきたので敗北し、斬首された《武帝紀・李典伝》。 【参照】薛蘭 / 曹操 / 張邈 / 陳宮 / 李乾 / 李整 / 呂布 / 兗州 / 鉅野県 / 乗氏県 / 定陶県 / 治中従事 / 別駕従事 / 牧 |
リホウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 00:32 UTC 版)
京林寺(けいりんじ)の拳法家。ヌンチャクの使い手。楽陽道(らくようどう)を不審に思い、その正体を調べている。京林寺の住職であった祖父と父親も楽陽道を調べていたが、ユマリ教祖によって火事を装って殺されてしまった。
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