リヒャルト・シュトラウスの交響詩
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「交響詩」の記事における「リヒャルト・シュトラウスの交響詩」の解説
ドイツ圏ではリストの直系の作曲家としてヨアヒム・ラフが標題つきのものを含む11曲の交響曲を作曲したが、交響詩は残さなかった。リストの死(1886年)の後、リヒャルト・シュトラウスがニコラウス・レーナウによる『ドン・ファン』(1888年)や、シェイクスピアによる『マクベス』(1890年)、ドイツ民話による『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(1895年)、ニーチェの哲学書による『ツァラトゥストラはこう語った』(1896年)、セルバンテスによる『ドン・キホーテ』(1897年)などを発表し、大規模な管弦楽を用いてリストの交響詩の概念を拡大した。1898年にはシュトラウスの交響詩としては最後の作品であり、従来の文学的な標題から完全に離れた個人的なテーマによる『英雄の生涯』を発表し、以後は「交響詩」から拡大された『家庭交響曲』(1903年)や『アルプス交響曲』(1915年)を作曲する。
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