ラスロ・ジェレとは? わかりやすく解説

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ラスロ・ジェレ

(ラースロー・ディエレ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 04:11 UTC 版)

ラスロ・ジェレ
Laslo Djere
2019年ウィンブルドン選手権でのラスロ・ジェレ
基本情報
愛称 Laci(ラシィー)
国籍 セルビア
出身地 ユーゴスラビアセンタ
生年月日 (1995-06-02) 1995年6月2日(29歳)
身長 188cm
体重 82kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2013年
ツアー通算 3勝
シングルス 3勝
ダブルス 0勝
生涯獲得賞金 6,081,663 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2023)
全仏 3回戦(2019・21)
全英 3回戦(2023)
全米 3回戦(2023)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2021)
全英 1回戦(2019・21-23)
全米 2回戦(2023)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 ベスト4(2017・23)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 27位(2019年6月10日)
ダブルス 346位(2021年3月22日)
2025年3月3日現在

ラスロ・ジェレ (セルビア語: Ласло Ђере/Laslo Đere, ハンガリー語: Györe László, 1995年6月2日 - )は、ユーゴスラビア (現セルビアヴォイヴォディナ自治州) センタ出身の男子プロテニス選手。ATPツアーではシングルス3勝。自己最高ランキングはシングルス27位。ダブルス346位。

選手経歴

ジュニア時代

1995年6月2日にセルビアで生まれた。両親はハンガリー人であり、ふたりともで亡くなっている。ジェレはセルビアのハンガリーコミュニティの一員であり、ハリガリー語、セルビア語英語が流暢である。5歳のときに父親とテニスを始めた。クレーのサーフェスが得意であり、ノバク・ジョコビッチアンディ・ロディックレイトン・ヒューイットに憧れていた。ジュニア時代の戦績としては、シングルス優勝5回、準優勝10回、ダブルス優勝2回。2013年5月27日にはジュニア3位を記録している。さらに2013年ウィンブルドン選手権ジュニアの部でベスト8進出を経験している。

2013年 プロ転向

2013年にプロ転向。シーズンをフューチャーズをメインに巡ることになり、7月のセルビアで開催されたフューチャーズで初優勝。9月にもセルビアのフューチャーズでも優勝を果たして、タイ・オープンではワイルドカードによりATPツアー本戦初出場。1回戦でフェリシアーノ・ロペスに敗れた。11月にはキプロスで準優勝2回を記録して、年間最終ランキングは495位。

2014年 フューチャーズ6勝目

シーズンをフューチャーズのみでプレーしており、5月にクロアチアボスニア、9月にセルビア、12月のセネガル共和国でのフューチャーズで優勝し、今季だけでフューチャーズ4勝を挙げた。6月にハンガリーのフューチャーズで準優勝。年間最終ランキングは341位。

2015年 トップ200入り

2月、エジプトでフューチャーズ7勝目を挙げた。ATPツアー・500シリーズであるドバイ・テニス選手権では予選から出場。予選2回戦でリュカ・プイユに敗れた。全仏オープンで予選からグランドスラム (テニス) に参戦することになった。予選1回戦ではニコロズ・バシラシビリに敗れた。

2015年全仏オープン予選でのラスロ・ジェレ

6月のチェコでのATPチャレンジャーツアーイジー・ベセリーに4-6, 2-6のストレートで敗れ、チャレンジャー準優勝となったが、6月8日付けのランキングで182位になり、トップ200入りを果たした。全米オープンでも予選参戦。年間最終ランキングは186位。

2016年 グランドスラム初出場

グランドスラムでは全仏オープンで予選を通過して本戦初出場。夏にはATPチャレンジャーツアーで準優勝2回を果たした。年間最終ランキングは185位。

2017年 トップ100入り

ハサン2世グランプリでは初戦でマルティン・クリザンを破ってツアー大会初勝利[1]ハンガリー・オープンでは1回戦でダニール・メドベージェフ、2回戦でビクトル・トロイツキ、準々決勝でフェルナンド・ベルダスコを破って準決勝進出。7月に行われたペルージャ・チャレンジャー英語版で優勝。年間最終ランキングは88位。

2018年 グランドスラム初勝利

2018年ウィンブルドン選手権でのラスロ・ジェレ

イスタンブール・オープンでは1回戦でデニス・イストミン、2回戦でアンドレアス・セッピ、準々決勝でパオロ・ロレンツィを破って準決勝進出。スイス・オープン・グシュタードでは1回戦でイストミン、2回戦でボルナ・チョリッチ、準々決勝でヴィクトル・ガロビッチ英語版を破って準決勝進出[2]全米オープンレオナルド・マイエルを1回戦で破り、グランドスラム初勝利。2回戦ではリシャール・ガスケに敗れた。年間最終ランキングは93位。

2019年 ツアー初優勝

2019年全仏オープンでのラスロ・ジェレ

2019年リオ・オープンでは初戦で世界ランク8位のドミニク・ティームを破り、そのままツアー決勝初進出。決勝でフェリックス・オジェ=アリアシムを6–3, 7–5で破り、初優勝を果たした。全仏オープンでは3回戦に初めて進出。第7シードの錦織圭に第5セット3-0とリードするも4-6, 7-6(8), 3-6, 6-4, 6-8で敗れた[3]。年間最終ランキングは38位。

2019年ウィンブルドン選手権でのラスロ・ジェレ

2020年 ツアー2勝目

全豪オープンでは1回戦で西岡良仁に4-6, 6-3, 2-6, 6-7(1)で初戦敗退。コルドバ・オープンではベスト4入り。準決勝でディエゴ・シュワルツマンに1-6, 6-1, 2-6で敗れた。

全米オープンではクリストファー・オコネル英語版に6-4, 4-6, 6-7(2), 4-6で初戦敗退。オーストリア・オープンではベスト4入り。準決勝でヤニック・ハンフマン英語版に敗退。

全仏オープンではケビン・アンダーソンに2-6, 3-6, 4-6のストレートで初戦敗退するも、10月のフォルテ・ヴィレッジ・サルデーニャ・オープン英語版では決勝でマルコ・チェッキナートを7-6(3), 7-5のストレートで破り、ツアー2勝目を挙げた。 年間最終ランキングは57位。

2021年 ツアー3度目の決勝進出

全豪オープンでは1回戦で第2シードのラファエル・ナダルに3-6, 4-6, 1-6のストレートで敗れた。3月のアルゼンチン・オープンチリ・オープンではベスト8進出。マイアミ・オープンではアレクサンダー・ブブリクに3-6, 4-6のストレートで敗れた。

フォルテ・ヴィレッジ・サルデーニャ・オープン英語版では2年連続決勝進出。決勝でロレンツォ・ソネゴに6-2, 6-7(5), 4-6で敗れ、準優勝。 全仏オープンでは自身2度目の3回戦進出。3回戦では第6シードのアレクサンダー・ズベレフに2-6, 5-7, 2-6のストレートで敗れた。

2021年全仏オープンでのラスロ・ジェレ

ウィンブルドン選手権では2回戦で第26シードのファビオ・フォニーニに3-6, 4-6, 6-0, 4-6で敗退した。ドイツ国際オープンスイス・オープンではベスト4入り。準決勝ではそれぞれフィリップ・クライノビッチユーゴ・ガストンに敗れた。全米オープンでは1回戦でデニス・クドラに6-4, 3-6, 5-7, 6-7(4)で初戦敗退。年間最終ランキングは52位。

2022年 ツアー4度目の決勝進出

全豪オープンでは1回戦で第14シードのデニス・シャポバロフに6-7(3), 4-6, 6-3, 6-7(3)で初戦敗退。BNPパリバ・オープンでは2回戦でヤニック・シナーに3-6, 3-6のストレートで敗れ、マイアミ・オープンではアーサー・リンダークネッシュに初戦敗退。

2022年モンテカルロ・マスターズでのラスロ・ジェレ

モンテカルロ・マスターズでは3回戦進出。3回戦ではステファノス・チチパスに敗れた。セルビア・オープンでは同胞の第1シードのノバク・ジョコビッチに第1セットを先取する善戦をするも、2回戦敗退。ローマ・マスターズでは予選2試合と初戦を制するも、スタン・ワウリンカに2回戦敗退。全仏オープンでは2回戦で第2シードのダニール・メドベージェフに3-6, 4-6, 3-6のストレートで敗退した。ウィンブルドン選手権ではアレハンドロ・タビロ英語版に6-7(6), 2-6, 6-1, 6-4, 6-7(11)のフルセットの末に初戦敗退。

ウィンストン・セーラム・オープンでは決勝進出。決勝ではアドリアン・マナリノに6-7(1) 4-6で敗れ、準優勝。全米オープンでは第9シードのアンドレイ・ルブレフに6-7(5), 3-6, 6-3, 6-4, 4-6のフルセットの善戦の末に初戦敗退となった。年間最終ランキングは70位。

2023年 ツアー5度目の決勝進出

1月、全豪オープンでは1回戦で第27シードのグリゴール・ディミトロフに3-6, 2-6, 0-6のストレートで敗れた。

2月、アルゼンチン・オープンでは2回戦でカルロス・アルカラスに2-6, 6-4, 2-6で敗れた。リオ・オープンでは同胞ドゥシャン・ラヨビッチに2-6, 4-6のストレートで2回戦敗退。

3月、チリ・オープンではベスト8入り。BNPパリバ・オープンではオスカー・オッテ英語版に3-6, 5-7のストレートで初戦敗退。マイアミ・オープンでは2回戦でヤニック・シナーに4-6, 2-6のストレートで敗れた。

4月、モンテカルロ・マスターズではホベルト・ホルカシュにマッチポイントを握るも7-6(5), 6-7(5), 6-7(5)の熱戦の末に初戦敗退。スルプスカ・オープン英語版ではベスト8入り。準々決勝でアレックス・モルチャン英語版に2-6, 6-4, 5-7で敗れた。マドリード・オープンではアスラン・カラツェフに初戦敗退。

5月、サルデーニャ・オープン英語版では準決勝でベン・シェルトンを3-6, 6-3, 6-4で下して、決勝進出。決勝でウゴ・アンベールに6-4, 5-7, 7-6で敗れ、準優勝となった。続くローマ・マスターズではマスターズ1000初の4回戦(ベスト16)進出。4回戦では第4シードのキャスパー・ルードに1-6, 3-6のストレートで敗れた。全仏オープンでは1回戦で第7シードのアンドレイ・ルブレフに1-6, 6-3, 3-6, 4-6で敗退となった。

6月、ロスマーレン・グラスコート選手権ハレ・オープンでは2回戦でそれぞれアレックス・デミノーダニール・メドベージェフに敗れた。

7月、ウィンブルドン選手権では2回戦で第32シードのベン・シェルトンを3-6, 6-3, 7-6(5), 6-3で破り、初の3回戦進出。3回戦では第5シードのステファノス・チチパスに4-6, 6-7(5), 4-6のストレートで敗れた。ドイツ国際オープンでは準決勝でジャン・ジジェン英語版を6-3, 6-2のストレートで退けて決勝進出。決勝ではアレクサンダー・ズベレフに5-7, 3-6のストレートで敗れ、準優勝を飾った。

8月、オーストリア・オープンではベスト4入り。準決勝でドミニク・ティームに7-6(3), 5-7, 6-7(8)で敗れた。ウィンストン・セーラム・オープンではベスト8入り。準々決勝ではセバスティアン・バエスに3-6, 0-6のストレートで屈した。

9月、全米オープンでは第32シードとして出場し、初の3回戦で同胞の第2シードのノバク・ジョコビッチ相手に4-6, 4-6, 6-1, 6-1, 3-6の2セットダウンから逆転を図ろうとするも、ジョコビッチに屈した。

10月、上海マスターズではリンキー・ヒジカタに6-7(4), 5-7のストレートで初戦敗退するも、ストックホルム・オープンではベスト4入りして、準決勝でガエル・モンフィスに5-7, 2-6のストレートで敗れた。

11月、パリ・マスターズでは2回戦でカレン・ハチャノフに4-6, 5-7のストレートで敗退した。年間最終ランキングは33位。

2024年 トップ100圏外

全豪オープンではアルチュール・カゾー英語版に1回戦で2-6, 7-6(3), 2-6, 6-3, 2-6のフルセットの末に初戦敗退となった。全仏オープンではダニエル・アルトマイアーに5-7, 4-6, 7-6(6), 7-5, 6-7(6)のフルセットの末に初戦敗退。ウィンブルドン選手権ではリュカ・プイユに6-3, 6-7(4), 6-3, 3-6, 1-6のフルセットで初戦敗退。全米オープンでは1回戦でヤン=レナード・ストルフを6-7(7), 6-1, 6-7(7), 6-4, 6-2のフルセットの末に破り、初戦を突破するも、2回戦では第2シードの同胞ノバク・ジョコビッチ戦を4-6, 4-6, 0-2の時点で途中棄権した。11月のセルビア・オープンでは1回戦でスタン・ワウリンカを6-4, 6-4、2回戦ではドゥジェ・アジドゥコビッチ英語版を6-1, 7-6(8)、準々決勝ではファービアーン・マロジャーンを6-4, 6-2のストレートで下してベスト4進出。準決勝では同胞のハマド・メジェドビッチ英語版に2-6, 6-3, 6-7(2)で敗れた。ATPチャレンジャーツアーではプロスチェヨフ・チャレンジャー英語版サント・ドミンゴ・チャレンジャー英語版レイジェット・チャレンジャー英語版ではベスト4進出をするが、早期敗退が目立ち、世界ランキングは100位圏外となり、年間最終ランキングは115位。

2025年 ツアー3勝目 ツアー通算150勝

全豪オープンではクリスチャン・ガリンに4-6, 6-1, 5-7で敗れ、予選2回戦敗退となり、グランドスラム本戦入りを逃すも、2月のアルゼンチン・オープンでは予選から5連勝して、ベスト4進出。準決勝では期待の新鋭であるブラジル人ジョアン・フォンセカに6-7(3), 7-5, 1-6で敗れたが、善戦を演じた。さらにチリ・オープンでは準決勝で第1シードのフランシスコ・セルンドロを6-1, 4-6, 6-3で下して、決勝進出[4]。決勝ではセバスティアン・バエスを6-4, 3-6, 7-5で破り、4年5ヶ月ぶりにツアー3勝目を挙げると同時にツアー通算150勝目となった[5]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 6回 (3勝3敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ATPファイナルズ (0–0)
ATPツアー・マスターズ1000 (0–0)
ATPツアー500 (1–1)
ATPツアー250 (2–2)
サーフェス別タイトル
ハード (0–1)
クレー (3–2)
芝 (0–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2019年2月24日 リオデジャネイロ クレー フェリックス・オジェ=アリアシム 6-3, 7-5
優勝 2. 2020年10月18日 サルデーニャ (en クレー マルコ・チェッキナート 7-6(7-3), 7-5
準優勝 3. 2021年4月11日 サルデーニャ (en クレー ロレンツォ・ソネゴ 6-2, 6-7(5-7), 4-6
準優勝 4. 2022年8月28日 ウィンストン・セーラム ハード アドリアン・マナリノ 6-7(1-7), 4-6
準優勝 5. 2023年7月30日 ハンブルク クレー アレクサンダー・ズベレフ 5-7, 3-6
優勝 3. 2025年3月3日 サンティアゴ クレー セバスティアン・バエス 6-4, 3-6, 7-5

成績

4大大会シングルス

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 2025 通算成績
全豪オープン A Q1 Q2 1R 1R 1R 1R 1R 2R 1R 1–7
全仏オープン Q1 1R Q2 1R 3R 1R 3R 2R 1R 1R 5–8
ウィンブルドン A A Q1 1R 2R NH 2R 1R 3R 1R 4–6
全米オープン Q1 Q2 A 2R 1R 1R 1R 1R 3R 2R 4–7

大会最高成績

大会 成績
ATPファイナルズ A 出場なし
インディアンウェルズ 3R 2019
マイアミ 2R 2021, 2023, 2024
モンテカルロ 3R 2022
マドリード 3R 2019
ローマ 4R 2023
カナダ 1R 2019
シンシナティ 1R 2019, 2021
上海 1R 2023
パリ 2R 2023
オリンピック A 出場なし
デビスカップ SF 2017, 2023

脚注

  1. ^ Robredo Wins Marrakech Opener”. atptour.com. 2017年4月10日閲覧。
  2. ^ Zopp Stuns Defending Champ Fognini In Gstaad”. atptour.com. 2018年7月26日閲覧。
  3. ^ “フルセットの錦織、全仏5年連続16強!4時間26分激闘制した”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/01/kiji/20190601s00028000070000c.html 2019年7月1日閲覧。 
  4. ^ 「世界103位 第1シード撃破し決勝へ」”. tennis365.net (2025年3月2日). 2025年3月2日閲覧。
  5. ^ 「世界103位の伏兵 4年半ぶり3度目V」”. tennis365.net (2025-3-2 3). 2025年3月3日閲覧。

外部リンク




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