ランボルギーニ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:21 UTC 版)
「マウロ・フォルギエリ」の記事における「ランボルギーニ時代」の解説
フェラーリ・408を開発したものの、フェラーリは4WDを市販車に採用する気は全くなく、また408を市販するつもりもなかった。そのため新天地を求めて1987年に長年在籍したフェラーリを離れ、高級スポーツカーメーカーとしてライバル関係にあるランボルギーニへ移籍した。ランボルギーニのF1計画は親会社のクライスラー主導で、フォルギエリが担当したV型12気筒エンジンをローラ(ラルース)、ロータス、リジェなどに供給した。勝利は挙げられなかったものの、甲高いV12サウンドは本家フェラーリよりも美しいと評された。 ランボルギーニはメキシコのグラスチームのF1参戦をバックアップする予定だったが、グラスF1設立を提言したメキシコ人の富豪が資金を持ち逃げしたこともあり、資金が底をつき参戦困難となった。計画の破綻により1991年にモデナとして独自参戦する。フォルギエリが全面的に手がけた291は個性的なデザインであったが競争力は低く、結果的にフォルギエリはチームを去ることになった。 その後は1992年から1994年までブガッティに在籍したのち、地元モデナでオーラル・エンジニアリング(Oral Engineering)の運営に参加している。
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