ランス・アームストロングとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:54 UTC 版)
「イヴァン・バッソ」の記事における「ランス・アームストロングとの関係」の解説
バッソはランス・アームストロングとは個人的にも非常に親密な関係にある。2003年バッソの母が癌で倒れた時以来、ランスは真剣にバッソの相談にのり、母親が亡くなるまでの9ヶ月間バッソをサポートし続けたと言う。 更にはアームストロングと共にトレーニングする仲となり、2003年シーズン中に自身の所属するUSポスタルへの移籍を誘った (最終的にはチームCSCに移籍) 。 バッソの母が亡くなって3日後のレース、エクサン・プロヴァンスでバッソが優勝した時も一番早く電話を掛けたのはランスであった。 2004年のツール・ド・フランスの第12ステージで彼等は直接の一騎討ちとなったが、辛そうなバッソ、余裕を見せるランス、勝敗の行方はランスかと思われたが、しかしこのステージで区間優勝を獲得したのはバッソであった。この時ランスはインタビューで「今日は勝てなくて嬉しかった」と発言している事から、闘病中のバッソの母にバッソのツール・ド・フランスでの勝利を捧げたのかもしれない。その翌日の第13ステージでも最後は二人の一騎討ちとなったが、この時はランスが勝利している。このステージ中、バッソが所属するチームの監督ビャルヌ・リースが「バッソはランスに勝ちを譲るつもりだろう」といった意味の発言する様子が、ドキュメンタリー映画『OVERCOMING ツール・ド・フランス激闘の真実』に収められている。
※この「ランス・アームストロングとの関係」の解説は、「イヴァン・バッソ」の解説の一部です。
「ランス・アームストロングとの関係」を含む「イヴァン・バッソ」の記事については、「イヴァン・バッソ」の概要を参照ください。
- ランス・アームストロングとの関係のページへのリンク