ラトック 1峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 03:19 UTC 版)
1975年に原真率いる日本山岳会東海支部隊の6名が登頂を目指した。しかし、1峰・3峰間のクーロワールからコルに出ようとしたが突破できずに敗退した。 1979年に高田直樹が率いる日本隊は、1峰・3峰間のクーロワールからバットレス南壁を登攀し垂壁を突破、東稜から初登頂に成功した。最初の登頂隊は重廣恒夫、松見親衛、渡辺優であった。続いて3日後、武藤英生、奥淳一、遠藤甲太が登頂した。 この年1979年にラトック1の登山許可を得たのは、クリス・ボニントン率いるイギリス隊であったが、危険すぎるとしてキャンセルしたので、その許可は日本隊が得ることとなった。 ラトック1の別ルート、高度2,500mの急峻な北稜は、チョクトイ氷河からの未踏のルートとして知られている。最初の試みはアメリカのクライマー4名(ジム・ドニーニ(Jim_Donini)、ミカエル・ケネディ(Michael Kennedy)、ジョージ・ロウ(George Lowe)、ジェフ・ロー(Jeff Lowe))によってなされた。軽量スタイルでのこの登攀は広く賞賛されたが、頂上には達せなかった。ラトック1は初登頂がなされた後も数多くの試みがなされてきたが、未だ成功した者はいない。
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