ラシッド・タハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 11:18 UTC 版)
ラシッド・タハ Rachid Taha | |
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2010年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1958年9月18日 |
出身地 | アルジェリア、オラン |
死没 | 2018年9月12日(59歳没) |
ジャンル | アラビアン・ロック、ライ |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | 歌唱 |
活動期間 | 1983年 - 2018年 |
レーベル | Naïve |
共同作業者 | カルト・ド・セジュール スティーヴ・ヒレッジ フェミ・クティ |
公式サイト | http://rachidtahaofficial.com/ |
著名使用楽器 | |
ウード、ダラブッカ |
ラシッド・タハ(Rachid Taha、アラビア語: رشيد طه、1958年9月18日 -2018年9月12日)はフランスの歌手。アルジェリアのオランで生まれた。「ラシッド・ター」と表記される事もある。
来歴
アルジェリア戦争まっただ中の1958年にオランで生まれ、10歳で両親とともにフランスに移住、物心ついてからはリヨン郊外で暖房工場の工員や、医学事典の訪問販売などをしていた。
18歳で家を出て、移民のたむろするリヨンのナイトクラブに出入りし、1982年にアラブ・ロック・バンド「カルト・ド・セジュール」の歌手としてデビューした。バンド名は「滞在許可証 (グリーンカード)」を意味し、移民の怒りなどをニュー・ウェイヴ、パンク、レゲエ、ファンクなどを盛り込んだロックに乗せて、アラビア語で歌っていた。グループは先鋭的な音楽性で注目を集めたが、3枚のアルバムを残し、1989年に解散した。
1990年にはソロ歌手としてアルバム「バルベス」を発表、それから1998年、パリのベルシー劇場にて1万6千人を集めた一大ライ・コンサート「1,2,3 Soleils」を実現させた。このライヴは「ライの帝王」ハレド、「ライの小さな王子様」フォーデルと合同で行われ、当日の模様を収めたライヴ・アルバムは60万枚以上も売れた。[1]
2018年9月12日午前、就寝中に心臓麻痺で死去。享年59歳。
ディスコグラフィー
カルト・ド・セジュールのアルバム
- 1983: Carte de séjour
- 1984: Rhorhomanie
- 1986: Deux et demi
ソロ・アルバム
- 1991: Barbès
- 1993: Rachid Taha
- 1995: Olé Olé
- 1997: Carte blanche
- 1998: Diwân
- 1999: 1, 2, 3 Soleils - ハレド、フォーデルとの共演ライヴ。(notamment avec les chansons Ya Rayah et Abdel Kader)
- 2000: Made in Medina
- 2001: Rachid Taha Live (album en public)
- 2004: Tékitoi
- 2006: Diwân 2
- 2007: The Definitive Collection (コンピレーション)
- 2009: Bonjour (Gaëtan Rousselと共演)
- 2011: Voilà voilà le Best Of (コンピレーション)
- 2013: Zoom
脚注
- ^ CD「ラシッド・タハ/メイド・イン・メディナ」解説
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