ラ・コロナの再発見と「Q遺跡」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:40 UTC 版)
「ラ・コロナ」の記事における「ラ・コロナの再発見と「Q遺跡」」の解説
1960年代に、各地の美術館に共通の特徴をもつ、明らかに略奪者によって売られたマヤの遺物が出現した。1970年代にピーター・マシューズがこれらの遺物をはじめて研究し、遺物の出所を仮に「Q遺跡」(site Q)と名付けた。マシューズの研究は長く未公刊だったがマヤ研究者の間ではよく知られ、それがどの遺跡であるのかは長年の問題だった。その後マヤ文字の解読が進むにつれ、Q遺跡の碑文に出現する人名が既知のどの遺跡のものとも異なっていることが明らかになり、謎はかえって深まった。 1997年5月、イアン・グレアムとデイヴィッド・ステュアートらはチョコプ川の上流で新たに発見された遺跡を調査し、Q遺跡と同じ支配者の名前が石碑に刻まれていることを発見した。5つの小ピラミッドの並び方が冠を思わせたため、遺跡はステュアートによってラ・コロナ(冠)と名付けられた。 ラ・コロナの碑文は地名(サク・ニクテ)、支配者名(チャク・アカーチ・ユク)、支配者層の称号(サク・ワイス)などがQ遺跡のものと一致する。しかし、一部の学者は、ラ・コロナのような規模の小さな遺跡にこれほど立派な遺物があるのはおかしいとして、ラ・コロナをQ遺跡とする説を疑問視した。 その後、アメリカ合衆国とグアテマラの共同によるエル・ペルー調査の一環として、2005年にテュレーン大学のマルセロ・カヌートがラ・コロナの盗掘跡の調査を行い、Q遺跡のものと一致する石板を発見した。これによってラ・コロナがQ遺跡であることは確実になった。
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