ラウノ・アルトーネンとは? わかりやすく解説

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ラウノ・アルトーネン

(ラウノ・アールトネン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 16:18 UTC 版)

ラウノ・アルトーネン
基本情報
国籍  フィンランド
生年月日 (1938-01-07) 1938年1月7日(85歳)
WRCでの経歴
活動時期 19731987
所属チーム オペル, ダットサン
出走回数 25
優勝回数 0
表彰台回数 6
ステージ勝利数 11
通算獲得ポイント 65
初戦 1973年 ラリー・モンテカルロ
最終戦 1987年 サファリラリー
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ラウノ・アウグスト・アルトーネン: Rauno August Aaltonen, 1938年1月7日 - )は、フィンランド人の元ラリードライバー。姓はアールトネン表記もあり。

略歴

1961年1965年に地元フィンランドラリー選手権とヨーロッパラリー選手権でタイトルを獲得し、1966年のバサースト5000( (1966 Gallaher 500)で優勝。ランチアフォード日産チームで走っている。

1962年ラリー・モンテカルロでBMCワークスのミニクーパーを駆り、チュリニ峠でクラッシュするまで総合2位につける活躍を見せる。1963年は3位入賞。後にイギリスフォードで名監督ぶりを発揮する事となるスチュワート・ターナー、チームメイトティモ・マキネンと共にブリティッシュ・モーター・コーポレーション (BMC) のモンテ黄金期を築き、1964年・1965年・1967年に優勝。アルトーネン自身はクーパーSで1967年に優勝し、1965年と1966年は2位に入っているが、1966年は主催者のモナコ自動車クラブ (ACM) がヘッドライトの規定違反としてミニ勢を「失格」としている。

1973年世界ラリー選手権 (WRC) 創成期にはキャリア的にピークは過ぎており、優勝こそないものの、日産、フィアットオペルと渡り歩き、1987年までラリー・モンテカルロRACラリーサファリラリーアクロポリスラリーとスポット的に起用されることが多かった。

ギャラリー

参照

参考書籍

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
バリー・セトン
ミッジ・ボスワース
バサースト500勝者
1966
(ボブ・ホールデンと)
次代
ハリー・ファース
フレッド・ギブソン



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