ユトランド沖海戦との類似
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 16:59 UTC 版)
「デンマーク海峡海戦」の記事における「ユトランド沖海戦との類似」の解説
この海戦におけるホランド中将の行動からは、ユトランド沖海戦の初期段階でのデイヴィッド・ビーティ提督との類似点がいくつも見つけられる。ホランドの行動からは、H部隊の到着まで、ウェイク=ウォーカーの追跡を支援するのでなく、直ちにビスマルクと交戦しなければならないと考えていたのは明らかである。ビーティも同様に、ドイツ艦隊をジョン・ジェリコー提督率いるグランドフリートの方に誘引するのでなく、自らの戦力でフランツ・フォン・ヒッパー提督のドイツ巡洋戦艦部隊と交戦べきであると考えていた。 ホランドはビーティのように、大型艦の数では優勢だったが、それぞれの単位の戦闘力は劣勢であった。さらに、ホランドの行った戦力配置とユトランドでのビーティの配置にも類似点がある。ビーティもホランドも、ドイツ部隊を針路前面に置いて攻撃した。その結果としてビーティの艦隊は中央および後部の砲塔を敵に向けることが困難だったし、ホランド部隊も、フッドの最後の左回頭直前まで、後部砲塔を使うことができなかった。ビーティは艦隊のうち最も装甲の薄い巡洋戦艦部隊を戦列の先頭に置き、より強力で装甲も厚いクイーン・エリザベス級戦艦を後衛に置いた。同様にホランドも古くて防御の弱いフッドを、より強力な(就役したばかりで試験も済んでいないが)プリンス・オブ・ウェールズの前に置いた。また両提督とも、旗艦から管下の部隊に対して厳格な統制を行った。これは、リーチ艦長が独自の判断でプリンス・オブ・ウェールズを機動させ、敵を混乱させるような行動を取れる可能性を失わせた。 さらなる類似点として、ドイツ海軍の戦術的勝利と戦略的敗北がある。今回、ドイツ海軍はユトランド沖海戦と同じようにかろうじて戦術的勝利を得たが、フッドを偶然にも沈めてしまったことでイギリス海軍の怒りを買い、その後の自海軍の崩壊を早めたという点で戦略的には完敗した[要出典]。
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