ヤン・ヴァーツラフ・カリヴォダとは? わかりやすく解説

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ヤン・ヴァーツラフ・カリヴォダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/29 10:09 UTC 版)

ヤン・ヴァーツラフ・カリヴォダ
基本情報
生誕 (1801-02-21) 1801年2月21日
出身地  チェコ プラハ
死没 (1866-12-03) 1866年12月3日(65歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家・楽長・ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ヤン・(クシチテル・)ヴァーツラフ・カリヴォダチェコ語: Jan (Křtitel) Václav Kalivoda, *1801年2月21日 プラハ - †1866年12月3日 カールスルーエ)は、ボヘミア出身の作曲家・楽長・ヴァイオリニストドイツで活躍したため、ドイツ語読みの「ヨハン・バプティスト・ヴェンツェル・カリヴォダ」(Johann (Baptist) Wenzel Kalliwoda)の表記で広く知られている。

経歴

早くも1811年プラハ音楽院でアロイス・ディオニュス・ヴェーバー(de:Friedrich Dionys Weber)に作曲を、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ピクシスヴァイオリンを学ぶ。14歳でヴァイオリン奏者としてデビュー。

学業を終えるとプラハ歌劇場管弦楽団に入団。1821年からヴァイオリニストとしてリンツミュンヘンなどヨーロッパ各地で演奏旅行を続け、成功を収める。1822年から1865年まで、コンラディン・クロイツァーの後任としてドナウエッシンゲン侯国宮廷楽長に就任。亡くなる直前までこの地位に就いていた。1865年に引退。翌年、心筋梗塞により他界。

作曲作品

カリヴォダはきわめて多作な作曲家であり、たとえばロベルト・シューマンのような同時代の音楽家から、高い評価を受けていた。作品数は数百曲にのぼり、そのうちおよそ250曲に作品番号が付けられている。歌劇交響曲演奏会用序曲ピアノ協奏曲ピアノ曲教会音楽歌曲、合唱曲のほか、いくつかの器楽曲がある。

家族・親族

主要作品一覧

  • 交響曲 第1番 ヘ短調 作品7
  • ヴァイオリン協奏曲 第1番 作品9
  • 4手のためのピアノ曲《大行進曲》作品26
  • 4手のためのピアノ曲《ディヴェルティメント ヘ短調》作品28
  • 2つのヴァイオリンのための二重奏曲 ト短調 作品70
  • オーボエと管弦楽の為の小協奏曲 ヘ長調 作品110
  • 4手のための《ピアノ・ソナタ ト短調》作品135
  • ミサ曲イ長調 作品137
  • オーボエとピアノのためのサロン的小品 作品228
  • クラリネットとピアノのためのサロン的小品 作品229
  • ファゴットとピアノのためのサロン的小品 作品230
  • 寓意劇《聴衆 "Die Audienz"》
  • 歌劇《クリスティーネ姫 "Prinzessin Christine"》
  • "Billibambuffs Hochzeitsreise zum Orcus und Olymp" (Fastnachtsspiel)
  • "Blanda, die silberne Birke" (Oper in 3 Akten)

脚注

外部リンク




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