モデルチェンジの立ち上げ失敗とトヨタ生産方式の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:28 UTC 版)
「岐阜車体工業」の記事における「モデルチェンジの立ち上げ失敗とトヨタ生産方式の導入」の解説
その後、オイルショックの時も乗り越えて、トヨタ共に生産を維持・拡大していったが、1977年(昭和52年)8月に全面改良(フルモデルチェンジ)した「ダイナ」の新型への生産切り替えが行われると、その立ち上げに失敗して不良品が続出することになった。 この新型への生産切り替えの失敗を解消するため、「トヨタ自動車工業」は生産調査室から4人のスタッフが送り込んで現場の改善に乗り出し、1978年(昭和53年)初め頃までには生産を軌道に乗せることに成功した。 これをきっかけに当社は「トヨタ生産方式」と後に呼ばれるようになったノウハウをトヨタの指導を受けながら取り入れて行くことになった。
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