メデューズ号の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:06 UTC 版)
「メアリー・セレスト」の記事における「メデューズ号の場合」の解説
『メデューズ号の筏』は、フランスの画家テオドール・ジェリコーが描いた名画として知られるが、これは事実に基づいた作品である。 1816年、フランス政府はイギリスから返還されたアフリカ西部のセネガルにメデューズを旗艦とする小艦隊を派遣したが、指揮官の無能などによって艦隊は離散し、メデューズは軍人・民間人およそ400人を乗せたままアフリカの西海岸に座礁した。損害は軽微であったが指揮系統は破綻しており、艦の放棄が決定されて何艘かの救命ボートが降ろされ、それに乗り切れなかった将兵や民間人150人ほどが、急造された筏に乗った。だが、救命ボートは筏を見捨てて逃亡し、筏に残された人々は殺し合いや衰弱で次々に死亡。逃げたボートの報告により救助船が筏を発見したのは漂流12日後で、助かったのは15人だけであった。 メデューズ派遣は国家事業であり、乗員も多く生存者もあった上、救助活動が積極的になされ、事件は明るみに出たが、もしも少人数が乗船するだけの民間船が同じような事故を起こしたならば、乗組員は全滅して行方も知られず、船だけが無人のまま発見される可能性もあった。
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