メシュウェシュの大首長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:12 UTC 版)
「シェションク1世」の記事における「メシュウェシュの大首長」の解説
リビア系の部族メシュウェシュ(英語版)の血を引く。エジプトでは第19王朝時代から、西デルタを経由して多くのリビア人が移住してきていた。20王朝から21王朝にかけて、彼らの一部は主に軍人として登用され、褒賞に土地や官職を与えられることで、地方の有力者として台頭した。 その中でもシェションク1世の家系は、王家と縁戚関係を持つ程に大きな権力を得た名士だった。父ニムロトメシュウェシュ(英語版)と祖父シェションク(シェションクA)シェションクA(英語版)は「マーの首長」の称号を付与されており、ニムロトの兄で、シェションク1世の叔父にあたる大オソルコンは、甥に先立って史上初のリビア系ファラオとして即位し、6年間統治している。 シェションクはプスセンネス2世の娘マアトカラーの義理の父として王家の席に加わり、エジプト軍の最高司令官及び王の側近として大きな権力を握った。そしてプスセンネス2世の死後、後継者として即位するにあたって自らの正統性を強調するため第21王朝の創設者であるスメンデス1世と同じ即位名を採用した。
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