メアリーの宮廷の廷臣として
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「トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)」の記事における「メアリーの宮廷の廷臣として」の解説
彼も1553年9月に名誉を回復させ、バス騎士団ナイト(KB)に叙される。さらに1554年7月から8月にかけて女王メアリーの夫であるフィリップ王(スペイン皇太子。後のスペイン王フェリペ2世)の寝室侍従長(First Gentleman of the Bedchamber)を務めた。 1554年8月25日には祖父が死去し、18歳にして第4代ノーフォーク公爵位を継承することになった。 第19代アランデル伯爵ヘンリー・フィッツアランの娘メアリー・フィッツアラン(英語版)、初代オードリー男爵トマス・オードリー(英語版)の娘マーガレット、第4代デイカー男爵トマス・デイカー(英語版)の未亡人エリザベス(英語版)の3人と順次結婚したが、いずれにも先立たれた。しかし、彼女達は女子相続人でもあった為、ノーフォーク公とその子孫が領土を継承することになり、ノーフォーク公爵家はイングランド北部を本拠に全イングランドでも最有力の貴族となった。
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