ミュラの聖ニコラオス聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 00:53 UTC 版)
ミュラの聖ニコラオス聖堂は6世紀に建てられた。現在残る建物は8世紀から建築が始まったもので、11世紀後半に修道院が追加された。しかしその後放棄されたとみられる。 1863年、ロシア帝国のツァーリ・アレクサンドル2世は聖ニコラオス聖堂を買い取り修復を始めたが、作業は進まなかった。1963年に聖堂の東側と南側が発掘された。1968年には聖人の墓所(confessio)の跡地に屋根がかけられた。 聖堂の床はオプス・セクティレ(彩色された大きめの大理石などを埋めて絵や模様を描く一種のモザイク画)がよく残っており、壁にはフレスコ画の跡も残っている。古代ギリシャの石棺(サルコファガス)も残っており、聖ニコラオスの不朽体の安置に再利用されたとみられるが中は何も入っていない。不朽体は1087年にバーリの船乗りたちに持ち去られ、現在はバーリの大聖堂に安置されている。 聖堂は現在も発掘と再建が進められている。2007年にはトルコ文化省が聖堂内部での聖体礼儀を許可した。
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