ミタンニ攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 14:13 UTC 版)
「シュッピルリウマ1世」の記事における「ミタンニ攻略」の解説
ついでトゥシュラッタが新たなミタンニ王になると、シュッピルリウマ1世はミタンニを攻撃したが失敗した。この後シュッピルリウマ1世は北シリアの交易拠点都市ウガリットを傘下に納めて従属条約を締結するとともに、婚姻外交によってバビロン第3王朝(カッシート)と同盟を結んでミタンニに圧力をかけた。そして改めてミタンニを攻撃するべくフルリ人の国家イシュワを攻略し、更にミタンニの首都ワシュカンニを目指した。ミタンニ王トゥシュラッタは戦わずして逃亡したが、その後息子に殺された。東南の「フルリ人の王」の称号を持つに過ぎなかったアルタタマ2世と条約を結んで東方の国境線を定めた。シュッピルリウマ1世はミタンニの新王としてトゥシュラッタの政敵であったアルタタマ2世を擁立した。 次のシュッタルナ3世がアッシリアと結ぼうとしたため打ち果し、シャッティワザ(マッティワザとも)を擁立し、自分の娘と結婚させてミタンニに影響力を確保した。更にミタンニ領であったハルパ市やカルケミシュ市を攻略し、息子のテレピヌをハルパ王に、別の息子ピヤシリをカルケミシュ王に封じて国内を固めた。テレピヌの子孫は代々ハルパ王、キズワトナの神官、そしてテシュプ、ヘパト、シャッルッマといった神々の神官を務めた。
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