ミタンニの都ワシュカンニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/02/07 17:17 UTC 版)
「テル・エル・ファハリヤ」の記事における「ミタンニの都ワシュカンニ」の解説
ワシュカンニ(Washukanni、Waššukanni、Washshukanni、Wassuganni、Vasukhani)は紀元前1500年頃のミタンニ王国(Mi-ta-an-ni、アッシリア語ではハニガルバト Ḫa-ni-gal-bat)の首都であった。語源について、インド・ヨーロッパ語族の各語との間では、サンスクリット語の「Vasu-khani」(豊かさの宝庫)や、アナトリアの象形文字ルヴィ語(英語版)で「良い-」を意味する「vasu-」、近代クルド語で「良い泉」を意味する「washkani」(bashkani)などと比較される。 ワシュカンニは2世紀にわたり、現在のトルコ・シリア・イラクにまたがる北メソポタミアの中心都市として繁栄したが、ヒッタイトの大王シュッピルリウマ1世(Šuppiluliuma I、在位:紀元前1358年頃 - 紀元前1323年頃)によって略奪されたことが記録に残る。碑文にみられるシュッピルリウマ1世とミタンニ王国の間の条約には、ミタンニ王シャッティワザ(Šattiwaza - シャッティヴァザ, マッティヴァザ - Mattiwaza)をシュッピルリウマ1世の臣下としてワシュカンニに置き、ミタンニを属国とする旨書かれている。ワシュカンニは紀元前1290年頃にハニガルバト遠征を行った中アッシリア王国の王アダド・ニラリ1世に略奪されている。
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