マーカムとの論争
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「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の記事における「マーカムとの論争」の解説
1899年3月15日、ブルースは王立地理学会のクレメンツ・マーカム卿に手紙を送り、当時計画の初期段階にあった国営南極遠征の科学者スタッフに自分を売り込んだ。マーカムの返事は要領を得ない一行だけの確認であり、その後一年間ブルースは何も答を得られなかった。その後、間接的ではあるが、科学者助手のポストに応募するよう告げられた。1900年3月21日、ブルースはマーカムに一年前に応募したことを思い出させ、そのときの考えを「私はイギリスの2番目の船を用意できるほどの資金を集められるとは期待していない」と表明することになった。その数日後には続けて、2番目の船の資金は確保されたと報告し、初めて「スコットランド遠征」という言葉を使っていた。これがマーカムに警告となり、幾らかの怒りを込めて、「そのようなやり方は遠征に対して最も悪い影響を与えるものである。...2番目の船は全く必要ない。...なぜこのような誤ったライバル関係が始まったのか理解できない。」という返事がきた。ブルースはその返書で、ライバル関係を否定し、「もし私の友人が私の計画を遂行するために金をくれる用意があるというなら、それを受け取らない方はない。...2番目の船が非常に望ましいと考える人々が何人かいる。」と伝えた。怒りが静まらないマーカムは「貴方が(国営南極遠征隊に)指名されるよう最善を尽くしていたので、貴方が少なくとも私に相談せずにそのような段階を踏まないと考える権利がある。」と回答した。さらに「貴方は自分の計画を実行するために国営遠征をダメにしようとしている」とも付け加えた。 ブルースはこれに正式な返書を送り、スコットランドで集めた資金は他のプロジェクトには提供されないと伝えた。その後1901年2月にマーカムから短い和解の手紙が届いた以外、この二人の間にそれ以上の交信はなかった。マーカムは「私は今、貴方の見解から物事を見られる。貴方の成功を願う」と伝えており、その後のスコットランド遠征隊に対するマーカムの態度には反映されない感傷的なものだった。
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