マヤ地域の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 14:47 UTC 版)
ガリンドはグアテマラ政府の命を受け、1831年にウスマシンタ川流域を調査し、パレンケを訪れている。また、同年にヤシュハー湖にあるトポシュテ島遺跡も訪れている。3年後の1834年にはコパンを調査し、建造物のスケッチや平面図を作成した。ボーデ/ピカソ(1991年)によると、コパンの擬似アーチ型墓穴の発掘が特に注目すべき成果だとされる。 パリ地理学協会の要請に応じて、中央アメリカの遺跡や国々について報告書を作成し、そのほとんどが活字化された。マヤ文明が偉大な文明であること、また遺跡が現地に暮らす先住民(マヤ系インディオ)の祖先が建設したものであること、マヤ文字が音節を表していること、生贄が行われていたことなどを報告書や論文に記しており、部分的に現代の見解に近い主張をしていた。また、それぞれマヤ地域の西端と東端に位置するパレンケとコパンについて、その類似性を指摘している。
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