マドリード包囲戦
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マドリード包囲戦(マドリードほういせん、英:The siege of Madrid、西:Batalla de Madrid)は、スペイン内戦時(1936年7月〜1939年4月)において1936年11月から1939年3月にまで続いた戦いのこと。
解説
このころ、もはや反乱軍を止める力が無かった政府軍はマドリード近郊の都市アルカサルも反乱軍によって奪取されておりもはや絶体絶命の状態。また、フランコ率いる反乱軍が進撃する前のマドリードでは独伊空軍による激しい爆撃が行われており、誰の目から見てもマドリード陥落は時間の問題であった。しかし、反乱軍がマドリードにて進撃を行うと政府軍は激しい抵抗を開始。そうそうに陥落することはなくなった。
それでも、不利であることは確か。防衛を担当する軍の高官も降伏を行おうとしていたがそれは共産党員のドローレス・イバルリによって拒否された。彼女は「膝を屈して生きるよりは脚で立って死のう!奴らを通すな!我らは通るぞ!」という演説でマドリード内外の共産主義者を熱狂させ、マドリード市民は皆が兵士となって反乱軍に抵抗した(後にこの演説はマドリード防衛を象徴するスローガンとなった)
彼らの必死の防衛に世界中から同情と支援の声を呼び寄せ、6万人の義勇兵が世界中から駆けつけた。この義勇兵の中には「老人と海」などで知られるアーネスト・ヘミングウェイ、ユーゴスラビア指導者となるヨシップ・ブロズ・チトー、「1984」で知られるジョージ・オーウェルなどがいた。 特にヘミングウェイはこのスペイン内戦を題材に「誰が為に鐘は鳴る」を書いており、映画化もされている。
一方、マドリード防衛に成功していた政府軍であったものの各地では敗北を重ねており、1939年1月のバルセロナ陥落は反乱軍の勝利を裏付ける戦いとなった。
これを受け2年にも渡り防衛を続けてきたマドリード市内では守備隊によるクーデターが起こり共産主義勢力が排除される事態に。 こうして1939年3月28日、反乱軍はマドリードに入城。
ここに、スペイン内戦及びマドリード包囲戦は反乱軍の勝利で終わった。
脚注
参考文献
- Alpert, Michael (1996). «La historia militar». En Stanley Payne y Javier Tusell, ed. La guerra civil. Una nueva visión del conflicto que dividió España. Madrid: Temas de Hoy. ISBN 84-7880-652-0.
- Bahamonde Magro, Ángel; Cervera Gil, Javier (2000). Así terminó la Guerra de España, Madrid: Marcial Pons, Ediciones de Historia. ISBN 9788495379092.
- Beevor, Antony (2005). La guerra civil española. Círculo de Lectores. ISBN 978-84-672-1532-8.
- Cox, Geoffrey, Defence of Madrid, Victor Gollancz, 1937.
- Malerbe, Pierre; Tuñón de Lara, Manuel; García-Nieto, María del Carmen y Mainer, Juan Carlos: La crisis del Estado: dictadura, república, guerra (1923-1939), tomo IX de Historia de España.
- Martínez Reverte, Jorge M. (2004). Crítica, ed. La Batalla de Madrid (1.ª edición). Barcelona. ISBN 978-84-8432-871-1.
- Rojo Lluch, Vicente; «Así fue la defensa de Madrid» (1967).
- Salas Larrazábal, Ramón; Historia del Ejército Popular de la República. Capítulos "ad hoc" de la obra.
- Solé i Sabaté, Josep María; Villarroya, Joan (2003). España en llamas. La guerra civil desde el aire. Madrid: Temas de Hoy. ISBN 84-8460-302-4.
- Thomas, Hugh (1967). La Guerra civil española: 1936-1939. París: Ruedo Ibérico.
外部リンク
- Spartacus Educational article on the siege
- Short summary of the battle Archived 4 February 2012 at the Wayback Machine.
- Madrid siglos XIX y XX (Article on life in Madrid during the siege, by the students of the Faculty of Geography and History of the Universidad Complutense of Madrid)
- Madrid Under Fire 1936–1939. A set on Flickr
- Madrid corazón de España; poem in honour of the Defence of Madrid by Rafael Alberti
マドリード包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:49 UTC 版)
1936年11月8日、エミリオ・クレーベル将軍率いる第11国際旅団(コミューヌ・ド・パリ大隊、ドンブロフスキー大隊、アンドレ・マルティ大隊、イギリス人機関銃部隊)1900名が、反乱軍に包囲されていたマドリードに到着した。最初の戦闘はマドリードの中心から15kmの地点にある公園「カサ・デ・カンポ」で起こった。この公園の北部には9つの大学が集まっており、古い城壁が入り組んでいた。国際旅団は後に第12国際旅団(テールマン大隊、ガリバルディ大隊、ルイーズ・ミッシェル大隊、チャパーエフ大隊、アンリ・ベイユマン大隊)が増派されて8個大隊に増強され、6000人の無政府主義者も救援に投入された。反乱軍は市街地を爆撃し1000人の市民を死傷させるなど猛攻を加えたが、ついに11月23日にカサ・デ・カンポの郊外まで撤退した。国際旅団の損害も大きく半数が死傷した。
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