マドリード・バラハス空港地上衝突事故とは? わかりやすく解説

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マドリード・バラハス空港地上衝突事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 07:34 UTC 版)

マドリード・バラハス空港地上衝突事故
イベリア航空350便・アビアコ航空134便
上空から見たマドリード・バラハス空港
事故の概要
日付 1983年12月7日
概要 地上衝突
現場 スペイン マドリード・バラハス空港
負傷者総数 30 (イベリア機の乗員乗客)
死者総数 93 (両機の乗員乗客)
生存者総数 42 (イベリア機の乗員乗客)
第1機体

1981年に撮影された事故機
機種 ボーイング727-256Adv
機体名 Jumila
運用者 イベリア航空
機体記号 EC-CFJ
出発地 マドリード・バラハス空港
目的地 フィウミチーノ空港
乗客数 84
乗員数 9
負傷者数
(死者除く)
少なくとも30
死者数 51
生存者数 42
第2機体

1980年に撮影された事故機
機種 マクドネル・ダグラス DC-9-32
機体名 Vasco Nunez de Balboa
運用者 アビアコ航空英語版
機体記号 EC-CGS
出発地 マドリード・バラハス空港
目的地 サンタンデール空港
乗客数 37
乗員数 5
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 42(全員)
生存者数 0
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マドリード・バラハス空港衝突事故(マドリード・バラハスくうこうしょうとつじこ、: Madrid runway disaster)とは、1983年12月7日(現地時間、CET)にスペインマドリードバラハス国際空港滑走路上でイベリア航空350便とアビアコ航空134便が衝突した航空事故である。なお、約2週間前にもマドリードで航空事故(アビアンカ航空011便墜落事故)が発生している[1]

事故概要

1983年12月7日、濃霧の中でイベリア航空350便(ボーイング727機体記号:EC-CFJ、バラハス空港発フィウミチーノ空港(ローマ)行き)はバラハス空港の滑走路01からの離陸許可を得た[1][2][3] 。その頃アビアコ航空134便(DC-9、機体記号:EC-CGS、バラハス空港発サンタンデール空港行き)は離陸に向けて滑走路01へタキシング中だった[2][3]。134便のクルーの中で誤った場所で方向転換し、350便が離陸滑走中の滑走路に誤進入した。350便は134便を発見し、衝突を回避しようと機首上げをして離陸しようとした。しかしV2(安全離陸速度)に達しておらず、350便の胴体後部が134便に激突し、双方の機体は破壊され火災が発生した[1][2][3]。134便に搭乗していた42人全員と、350便に搭乗していた93人のうち51人(乗客50人、クルー1人)が死亡した[2][3][4]。350便の死者のうち34人は日本人観光客だった。また350便の死者の中には南アフリカ人ピアニストのMarc Raubenheimerがおり、134便の死者の中には有名なメキシコ人女優のFanny Canoがいた。

事故原因

事故調査により事故原因は、空港が視界不良であったこと、および134便の滑走路への誤進入をまねいた不十分な標識とマーキングであると判明した[2][3]

類似事故

関連項目

参考文献

外部リンク




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