マックコン王の盛衰とコーマック王の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 20:26 UTC 版)
「フィン・マックール」の記事における「マックコン王の盛衰とコーマック王の台頭」の解説
当時のマンスターではムグ・ヌアザの息子アリル・オーロム(英語版)が王として君臨していた。彼は自らの息子イォーガン(英語版)とマンスターの名門貴族であるマックコン(英語版)の争いで実の息子を支持して、義理の息子であるマックコンの反発を招いた。不満を抱いたマックコンが挙兵するとフィン・マックールはマックコンの軍勢にはせ参じている。マックコンは一度は敗れてブリテン島に逃れたものの捲土重来を果たし、マグ・ムクラマの戦いで上王アートとイォーガンを打ち破って新たな上王としてアイルランドに君臨した。 それからアート王の息子コーマック(英語版)が30歳になると、マックコンは上王の座を退いた。フィン・マックールはマンスターに帰還したマックコンに付き従って、護衛を務めていた。なぜなら、実の息子を殺されたマンスター王アリル・オーロムはマックコンを殺そうと企んでいたからである。フィンは彼の暗殺を予見しており、マックコンに警戒するように伝えたが真剣に取り合ってもらえなかった。マックコンは暗殺されてしまい、フィンは彼の復讐のため七年を費やすことになる。 一方で、コーマック王の初期の治世は困難に満ちたものだった。アルスター王・黒い歯のフェルグスがターラの都を攻め落とし新たな上王として君臨したからである。コーマックはマンスター王アリル・オーロムを頼った。彼はアリルから出兵の約束を取り付けることは出来なかったが、代わりにアリルは彼の弟のルゲイド・ラーガを訪ねて配下に加えるように助言した。ルゲイド・ラーガは兄のアリルとは折り合いが悪く、マックコンの軍勢に参加してアート王とイォーガンを討ち取っていた。コーマックは配下にしたルゲイド・ラーガとともに黒い歯のフェルグスを打ち破って上王の座に返り咲くことができた。 フィン・マックールは復讐を終えた後はコーマック王に仕えた。ディルムッドとグラーニアの駆け落ちをはじめとするフィアナの伝説の多くはこの時期のものである。
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